世界遺産の法隆寺の最寄り駅として、JR関西本線の法隆寺駅があります。戦前迄は現在のJR法隆寺駅南側のロータリー付近から “新法隆寺駅” を起点として別の線路が天理市内迄延びて、天理教本部への参拝する信徒の輸送を目的に、1915年に路線距離は約9Kmで営業が開始されてます。
開業時の軌道幅は 『ナローゲージ』(特殊狭軌線:762mm)で、蒸気機関車が走行してました。ご参考迄に新幹線や主要大手私鉄の線路幅は、1.435mm の標準軌となっています。
路線は新法隆寺駅から現在の近鉄橿原線の平端駅(ひらはたえき)を通って、天理市内迄を結んでます。
戦時中の1945年2月には不要不急路線として位置づけられ、新法隆寺駅 ⇔ 平端駅 間が運休となって、1952年(昭和27年)廃止されました。ちなみに平端駅から天理駅までは現在の近鉄天理線として残されています。
新法隆寺駅から少し北東の方向に行った所の池に、廃線跡の築堤が残ってました。この上を小さなSLが走ってました。
池を完全に分断する様に走行してましたが、途中には築堤が切れて橋脚跡のレンガ積みの遺構が見えます。
写真の左端をJR関西本線の列車が通過して行きます。
開業時の軌道幅は 『ナローゲージ』(特殊狭軌線:762mm)で、蒸気機関車が走行してました。ご参考迄に新幹線や主要大手私鉄の線路幅は、1.435mm の標準軌となっています。
路線は新法隆寺駅から現在の近鉄橿原線の平端駅(ひらはたえき)を通って、天理市内迄を結んでます。
戦時中の1945年2月には不要不急路線として位置づけられ、新法隆寺駅 ⇔ 平端駅 間が運休となって、1952年(昭和27年)廃止されました。ちなみに平端駅から天理駅までは現在の近鉄天理線として残されています。
新法隆寺駅から少し北東の方向に行った所の池に、廃線跡の築堤が残ってました。この上を小さなSLが走ってました。
池を完全に分断する様に走行してましたが、途中には築堤が切れて橋脚跡のレンガ積みの遺構が見えます。
写真の左端をJR関西本線の列車が通過して行きます。