気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

紅葉の東院庭園・平城宮跡(奈良県)

2024年12月08日 | 旅行風景(近畿地方)
平城宮跡の東側に張りだした部分で日本庭園の出発点とされる庭園が復元されました。ここでは天皇や皇族が宴会や儀式を行ったとされる、いわば迎賓館ののような場所だったと考えられてます。(撮影:2024年12月6日)

庭園内敷地へ一歩足を踏み入れたら早速、紅葉になった大きな木が目に入りました。敷地内には複雑な形の池が有って、周囲にはいくつかの建物が復元されてます。




池の周囲を反時計回りで進みます。復元された一番大きな中央建物の正面に来ました。




この平城宮跡へは何度か撮りに訪れてますが、今年は紅葉の時期がかなり “後ろ倒し” になってるんですね。12月に入ってから、こんな紅葉になってる光景は見た記憶はありません。




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天理軽便鉄道 廃線跡(奈良県)

2024年10月14日 | 旅行風景(近畿地方)
世界遺産の法隆寺の最寄り駅として、JR関西本線の法隆寺駅があります。戦前迄は現在のJR法隆寺駅南側のロータリー付近から “新法隆寺駅” を起点として別の線路が天理市内迄延びて、天理教本部への参拝する信徒の輸送を目的に、1915年に路線距離は約9Kmで営業が開始されてます。

開業時の軌道幅は 『ナローゲージ』(特殊狭軌線:762mm)で、蒸気機関車が走行してました。ご参考迄に新幹線や主要大手私鉄の線路幅は、1.435mm の標準軌となっています。

路線は新法隆寺駅から現在の近鉄橿原線の平端駅(ひらはたえき)を通って、天理市内迄を結んでます。
戦時中の1945年2月には不要不急路線として位置づけられ、新法隆寺駅 ⇔ 平端駅 間が運休となって、1952年(昭和27年)廃止されました。ちなみに平端駅から天理駅までは現在の近鉄天理線として残されています。




新法隆寺駅から少し北東の方向に行った所の池に、廃線跡の築堤が残ってました。この上を小さなSLが走ってました。


池を完全に分断する様に走行してましたが、途中には築堤が切れて橋脚跡のレンガ積みの遺構が見えます。


写真の左端をJR関西本線の列車が通過して行きます。


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怪しげな雲行き(奈良県)

2024年09月13日 | 旅行風景(近畿地方)
昨日(2024年9月12日)買い物に出て帰宅するのに、奈良盆地の中程を南北に流れてる飛鳥川の堤防を走行してました。その時、西方の空を見ると大阪府との県境に連なる山の稜線の一部が見えなくなっていて、その上方には黒い雲が大きく広がっていました。
黒い雲の一部が地面に届いてるヵ所は、おそらく大荒れな天候になってると思われます。




少し走ると田んぼが広がってる場所が有りましたので、堤防から降りて西方向の稜線を見ました。

この写真を撮ってる時には、私の居る所では雨は降ってなかったのですが、この後近くのスーパーの駐車場へ移動しました。すると最初に撮ってた時から30分程経過した後には、私の居る所でも本降りの大雨がやって来ました。
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奈良県広陵町『竹取公園』の桜

2024年04月14日 | 旅行風景(近畿地方)
奈良県は靴下生産量が日本一で、広陵町の地場産業として進められてきました。

竹取公園の近くに「讃岐神社(さぬきじんじゃ)」があって「かぐや姫」の育ての親で竹取の翁「讃岐造(さぬきのみやつこ)」のモデルとされた讃岐氏にゆかりがある事から、広陵町は「かぐや姫」で有名な『竹取物語』の舞台とされてる地域になってます。

広陵町内を通っている近鉄田原本線の箸尾駅(はしおえき)の駅前では『かぐやちゃん』が出迎えてました。


竹取物語にちなむ竹取公園は季節の花が広がっていて、大型の遊具等も有って家族連れでにぎわってました。





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「唐古・鍵遺跡史跡公園」に残る戦争遺跡(奈良県)

2024年03月20日 | 旅行風景(近畿地方)
奈良盆地のほぼ中程を南北に通じる幹線道路の国道24号線が通ってます。その国道沿いに幾重にも環濠に囲まれていた弥生時代の集落遺跡「唐古・鍵遺跡」が有り、広さは甲子園球場10個分相当の日本最大級のムラでした。発掘調査では土器をはじめ各種遺物の出土や、大きな建物があった事を示す遺構等も確認されてるようです。

環濠に架かる橋を渡って史跡公園へ入ります。


公園の中程には江戸時代に造られた農業用ため池の唐古池が有って、出土した土器に描かれていた楼閣が復元されてます。


唐古池沿いに上記写真左方向に進むと、太平洋戦争の遺跡がありました。


この説明版によると上記写真で、この方角の2Km程向こう側にあった海軍の柳本飛行場を守る為に設置された高射砲の台座が残ってました。





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