気ままな撮影紀行

鉄道写真をメインに航空機や一般の
風景写真等の撮影に出かけました。

名阪特急「ひのとり」 ・ 近鉄大阪線西青山駅(三重県)

2021年07月31日 | 近畿日本鉄道
近鉄大阪線の三重県内には、日本の大手私鉄では最長の山岳トンネル新靑山トンネル(5652m)があります。新靑山トンネル西側の開口部のすぐ先に、近鉄大阪線の中では秘境駅の雰囲気が漂う西青山駅(にしあおやまえき)があります。秘境駅と言っても日中の時間帯では急行・普通列車が上下線で4本の停車がありました。

私は時々この駅に写真を撮りに行ってましたが、3時間前後滞在していても停車する列車の乗降客はゼロの時が多くありました。

新靑山トンネルから上りの大阪難波駅(おおさかなんばえき)行き「ひのとり」が飛び出しました。


今度は下りの近鉄名古屋駅(きんてつなごやえき)行きがやって来ました。


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SL碓氷号・DL碓氷号 / JR信越本線 横川駅(群馬県)

2021年07月30日 | JR東日本エリア
JR信越本線終着駅の横川駅(よこかわえき)です。
かっての信越本線はこの先の軽井沢駅(かるいざわえき)以降まで続いていましたが、1997年に長野新幹線(現在の北陸新幹線が部分開業した時の通称)の開業によって、この先は廃線となってここが終着駅となりました。(撮影:2013年8月16日)

この先、横川駅と軽井沢駅の間には碓氷峠越えで国鉄、JR線では最急勾配の66.7‰(パーミル:1000m進む間に66.7mの勾配がある)の難所がありました。この急勾配を走行するために、特急を含む全列車がこの駅に停車して列車走行の補機として、電気機関車 「EF63」を連結・解放するのに長時間停車しました。その停車時間を利用して乗客が購入していたのが「峠の釜めし」で、横川駅のすぐ前に製造販売している「おぎのや」がありました。


JR高崎駅(たかさきえき)から横川駅迄「D51」デゴイチ による「SL碓氷号」が運転されました。


連結されてるのは旧型客車で懐かしい昭和の光景が広がってました。


この横川駅には転車台の設置がありませでした。その為に復路ではディーゼル機関車の「DD51」が先頭で牽引して「DL碓氷号」として運転されました。

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上総中野駅 ・ 小湊鉄道/いすみ鉄道(千葉県)

2021年07月24日 | 小湊鐵道
千葉県で東京湾側から太平洋側迄、房総半島を横切るように走行しているローカル線で、小湊鉄道といすみ鉄道の乗り継ぎ駅となっている上総中野駅(かずさなかのえき)です。(撮影:2015年4月3日)

この時のフォトチャンネルも新規追加致しました。

小湊鉄道は東京湾側の五井駅(ごいえき)が起点で、いすみ鉄道は太平洋側の大原駅(おおはらえき)が起点となっていて、上総中野駅は両社の共同使用駅で終点駅となっています。ログハウス風の木造駅舎があって、1928年(昭和3年)に開業された無人駅です。


比較的ゆったりとした駅舎内に入りました。


ホームの駅名表示板で、駅舎側が小湊鉄道のホームになっています。右方向の隣駅「にしはた(西畑)」駅は いすみ鉄道の駅です。


いすみ鉄道の下り列車の到着です。


今まで静かだったローカル線の駅が乗降客でにぎやかになりました。写真右の駅舎方向へ向かいます。かっては停車するホーム2面3線を有する駅だったようですが、現在は島式ホームの反対側にある中央の1線は撤去されて2面2線になってます。駅舎側から遠い島式ホーム側をいすみ鉄道が使用しています。




いすみ鉄道ホームの駅名表示板です。右方向の隣駅「養老渓谷(ようろうけいこく)」駅は小湊鉄道の駅です。


両社の駅名表示板には、この終着駅から一つ隣駅迄の駅名が記載されてますが、両社の相互乗り入れでの直通運転はありません。


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武部門(東院南門)エリア・平城宮跡 (奈良県)

2021年07月22日 | 旅行風景(近畿地方)
平城宮跡の東部に張り出して復元されている日本庭園の原形とも言える東院庭園のすぐ横に、比較的大きな武部門(東院南門)が復元されています。かっては皇太子の邸宅や皇族らが使用する迎賓館があった場所と考えられている「東院」の正門として機能していた門が復元されています。

写真右側が武部門(東院南門)で正面奥が復元された東院庭園への入り口建物です。その後方に見える芝山は、山焼きが行なわれる若草山です。


門の反対側、南側に移動しました。


左手前に石段がありますが、これは小子部門(的門)と呼ばれる門の基壇部分のみが復元されています。


復元された小子部門の基壇部分から南側を見ると、徒歩で7~8分もかからない場所を近鉄奈良線が走っています。




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JR紀勢本線 阿漕駅(三重県)

2021年07月19日 | JR東海エリア
JR紀勢本線の阿漕駅(あこぎえき)で開業は1893年(明治26年)です。

この駅から直線距離で約2Km弱の場所に伊勢湾の阿漕浦と呼ばれている場所があり、その海域はかって伊勢神宮への供え物を穫る漁場で禁漁区域だったそうです。しかしその阿漕浦の海域で密漁を繰り返して捕らえられた漁師がいた事から「あこぎ」が現在のように「強欲・ずうずうしい」といった悪いイメージの言葉に転じていったとされてます。そしてこの駅名は阿漕浦が名前の由来になっているようです。

ちなみに現在の阿漕浦では、潮干狩りや海水浴が楽しめます。

【7月20日 追記】
昨日アップした内容に関して一部確認不足が有りましたので、補足説明を追記させて頂きます。

三重県津市の阿漕浦に「阿漕平治伝説」が伝わっています。
浜辺の村に平治という親思いの漁師が母親と暮らしていました。その母親が病に倒れて衰弱する母親を前にして途方に暮れていた時、「病気には阿漕浦で捕れるヤガラという魚がよい」と聞きました。しかし阿漕浦は禁漁海域になっていた為、平治は悩みましたが決心を固め闇夜に紛れて舟をこぎ出して漁を実行しました。
そして漁を終えて家に戻り「ヤガラ」を料理して母親に食べさせる事を何度か繰り返したおかげで、母親の体調は回復した様です。

しかし漁の途中で「平治」と書かれたすげ笠を落としてしまいそれを拾った役人が翌朝に平治の家へ来て平治を捕らえて、罰を受けて殺されてしまいます。平治の死後、母親の体調が悪化して後を追ように亡くなったとの事です。

平治の霊を慰めるために「阿漕塚」が作られ、毎年平治の命日である8月16日には、彼の霊を供養するお祭りが行なわれているようです。

「あこぎ」の言葉のウラには、こんな親孝行の話が有ったんですね。

この阿漕駅は駅舎側の単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持ち、両方のホームは跨線橋で結ばれています。かっては近くに紡績工場があって規模の大きな木造駅舎がありました。

最盛期の面影を伝える木造駅舎で堂々とした造りになってました。(撮影:2012年6月18日)






島式ホームへ渡りました。


有効長の長いホームが印象的でした。


上記5枚の写真の駅舎は2014年に解体されて現在は以下の様な状況になってました。(撮影:2015年9月14日)













コメント (2)
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