私の地元を走っている近鉄田原本線の沿線を、カメラを持ってブラブラしてきましたので、その時の様子をまとめたチャンネルを新規追加致しました。近鉄田原本線は、新王寺駅から西田原本駅迄の約10Kmを所要時間、約20分程で結んでいます。
この路線の前身の鉄道事業者は、大和鉄道で新王寺から同じ県内の桜井迄路線を有していましたが、昭和33年には田原本~桜井間は廃止されました。その後昭和36年には、同じ奈良県内を走っていた信貴生駒電鉄に合併されて、その後昭和39年には信貴生駒電鉄は近鉄と合併致しました。近鉄と合併した時に田原本駅は、西田原本駅に改称され、近鉄田原本線となり現在に至っています。
西田原本駅には、大和鉄道当時のホームの一部が現在も残されていました。
この沿線を散策していて、新たな発見もありました。
田原本線の橋梁と並行して道路橋が架かってましたが、その橋の名前が『船つき橋』となっていました。こんな場所で ”船・・・?”と疑問に思い、帰ってからネットで調べると意外な事が書いていました。田原本は大和川の上流にある河港で、物資の集散地として昔は栄えていた、との記載があり橋の名前は、その名残から命名された様です。又、『田原本町は桃太郎生誕のまち』の看板を目にして、びっくりしました。私は隣町で何十年と住んでますが、初めて知りました!!
この路線の前身の鉄道事業者は、大和鉄道で新王寺から同じ県内の桜井迄路線を有していましたが、昭和33年には田原本~桜井間は廃止されました。その後昭和36年には、同じ奈良県内を走っていた信貴生駒電鉄に合併されて、その後昭和39年には信貴生駒電鉄は近鉄と合併致しました。近鉄と合併した時に田原本駅は、西田原本駅に改称され、近鉄田原本線となり現在に至っています。
西田原本駅には、大和鉄道当時のホームの一部が現在も残されていました。
この沿線を散策していて、新たな発見もありました。
田原本線の橋梁と並行して道路橋が架かってましたが、その橋の名前が『船つき橋』となっていました。こんな場所で ”船・・・?”と疑問に思い、帰ってからネットで調べると意外な事が書いていました。田原本は大和川の上流にある河港で、物資の集散地として昔は栄えていた、との記載があり橋の名前は、その名残から命名された様です。又、『田原本町は桃太郎生誕のまち』の看板を目にして、びっくりしました。私は隣町で何十年と住んでますが、初めて知りました!!