【きょうの人】 1222 普明国師 臨済宗相国寺の第二世
独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 普明国師 臨済宗相国寺の第二世
ふめいこくし
応長元年12月22日(1312年1月31日)-元中5年/嘉慶2年8月12日(1388年9月12日)
室町時代の臨済宗の禅僧で、室町幕府の帰依を得て臨済宗相国寺の第二世となりました。事実上の開山国師です。
五山文化の発展に寄与した。ほかに天龍寺や臨川寺の住職をしています。
春屋は道号、別号に芥室、不軽子など。諡号は知覚普明国師です。
母方の叔父である夢窓疎石のもとで受戒すると天龍寺の住職となりました。室町幕府に対して、五山第一の南禅寺の楼門(山門)新築を提言しました。
幕府は楼門建設の援助をしましたが、南禅寺と紛争状態であった園城寺がこれに強く抗議をしました。
比叡山の門徒もこれに加わり楼門撤去や妙葩の配流を求め、紛争は政治問題にまで発展してしまいました。
妙葩は頼之と対立して天龍寺住職を辞して阿波国光勝院、さらに丹後国雲門寺に隠棲することになりました。
1379年(康暦元年/天授5年)の康暦の政変で頼之が失脚した後に入京し、南禅寺住職として復帰しました。
【経営コンサルタントの独り言】
普明国師(ふめいこくし)は、私が好きな京都・相国寺の、事実上の開山された方です。
相国寺は、醸し出す雰囲気も気に入っていますが、伊藤若冲が愛し、相国寺が若冲を大切にするから好きでもあります。
でも、相国寺が好きと言うよりは、普明国師の存在がありがたいというべきでしょうか。
「普明(ふめい)」という名前は、「明るいのが普通(あたり前)」というところから来ているのではないかという、私の勝手な判断の自説を持っています。
私は、経営者のマインドや経営姿勢として、「不況を普況と思い、富況に取り組む」という”布教”をしてきました。
この駄洒落”宗教”に普明国師の名前の由来が通じるように思えるのです。
駄洒落、失礼しました!
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【 注 】
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