■■杉浦日向子の江戸塾 - 江戸情緒に学ぶ 江戸のレンタル・ブティック 31
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■ 江戸のレンタル・ブティック 31
生地が貴重な時代ですので、褌をはけない人が多かったのです。銭湯での盗品のナンバーワンが褌でした。盗まれないように褌を頭の上に乗せて手ぬぐいで縛り付けている絵を見たことがおありでしょう。自衛策だったのですね。
褌の普及率はどのくらいなのかはわかりませんが、上方よりも江戸の普及率の方が高かったようです。高級品ということからも、下着なしの男性が多かったことは推定できます。
それに対して、女性の下着といえば「腰巻き」です。腰巻きに至ってはほぼ100%の女性が身にまとっていました。ここにも江戸の女性優位が現れているのでしょうか。
きもの類だけではなく、リサイクルが一般的であった江戸では、揮や腰巻きですら古着屋に出すのです。
古着屋では、それをリユースに回すこともありますが、古い腰巻きで頭巾にリフォームして販売することもあったようです。
江戸の神田明神下というと銭形平次ですが、江戸のど真ん中を流れているのが、南こうせつさんで有名になった「神田川」です。
古着屋というのは、神田川沿いの柳原土手に並んでいたようで、屋台形式の店舗から、キチンとした店舗まであったようです。屋台形式ですとすぐに畳めるというメリットがあり、商売に成功したり、逆にうまくいかないと店じまいをしたりしました。
上方は、衣類の街でもあり、江戸に比べると品が豊富だったようです。古着のリユース需要は江戸ほどではなく、江戸の古着屋は上方から仕入れていました。
古着が一般的であり、一生のうちに3~4着ほどしか消費しなかった江戸では、祝言など、ここ一番というときには「レンタル・ブティック」を利用していました。
「レンタル・ブティック」というのは、「損料屋」といいました。借りて使うことにより、品の価値が下がります。それが「損料」なのでしょう。
損料屋では、着る物だけではなく、小物などの持ち物から履物まで、なんでも揃いました。
利用者が多いことから損料屋は銭湯と同様にあちらこちらにたくさんあったようで、気軽に利用していました。
江戸の女性が何をしなくても済む例として、子育てがあります。江戸では子供は「共有財産」ですから、街ぐるみで育てるために、子育てに煩わされることも少なかったのです。
とにかく、江戸の女性は何もしなくても済むようにサービス産業ができていたのです。
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