【きょうの人】 0718 聖聡 没 浄土宗の僧で増上寺開山
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■ 聖聡 没 浄土宗の僧で増上寺開山
しょうそう
正平21年/貞治5年7月10日(1366年8月16日)- 永享12年7月18日(1440年8月15日)
南北朝時代から室町時代中期にかけての浄土宗の僧で、増上寺の基礎を築き、開山しました。父は、下総国守護千葉氏胤、浄土宗第8祖。母は新田義貞の妻と伝えられています。
はじめ千葉妙見寺(真言宗寺院で明治初年の廃仏毀釈により千葉神社となる)で、真言密教を学びました。
元中2年/至徳2年(1385年)浄土宗の聖冏(しょうげい)に帰依し、その門下となりました。
聖冏が体系化した五重相伝の布教に努め、多くの弟子を養成しました。
明徳4年(1393年)武蔵国豊嶋郡貝塚(現在の東京都千代田区)にあった光明寺と称する真言宗寺院を浄土宗に改宗して増上寺と改称し、関東における浄土宗の道場としました。
千葉氏・佐竹氏の帰依を得、寺領の寄進もあり増上寺の基礎を築きました。永享11年(1419年)、甥の酉仰(ゆうごう)に増上寺を譲りました。
弟子に、弘経寺開山の嘆誉良肇(りょうちょう)、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)などがいます。
著書も多く、七十五才にて歿しました。
増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の仏教寺院です。正式には、「三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)」といいます。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかではありません。
通説では、天正18年(1590年)に、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、12世源誉存応と対面したのが徳川家の菩提寺となるきっかけだったといわれています。
増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている。
徳川家の菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭でした。
第二次世界大戦前には、台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧・国宝(建造物)に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったそうです。
太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟や五重塔をはじめとした遺構を失い、残念です。
【経営コンサルタントの独り言】
「聖聡」は、「しょうそう」とお読みします。
増上寺を開山した人です。
増上寺というのは、東京タワーのふもとに在します。
徳川家ゆかりのお寺さんです。
スポーツ関係者、とりわけ武道関係者はよく訪れるようです。
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【 注 】
【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。