本の置き所もなく、人生の仕舞い方も考える今日この頃、
本の少しばかりの断捨離をやろうと思ったわけであります。
古本屋さんをお呼びいたしました。
売る本を仕分けして、書棚のひっくり返しで大変です。
「思いっきりが大事だよ、」と一生懸命仕分けするのですが、
片付けには物を動かすスペースが必要であります。
そのスペースがないほどもう本は部屋中満杯状態でしたので、
本を動かすのはスペース確保のパズルみたいなもの。
思い切りより、実際の作業に時間ばっかり食って苦労なことでありました。
すっかり疲れてしまって、古本屋さんが来るまでの時間、
ちょっとお散歩に出かけて、気分転換です。
すっかり、あざやかな新緑でした。
この1週間で若葉の緑が輝きを増したようで新鮮でした。
「気が付いてみれば、新緑ね。」という感じであります。
青モミジです。 ↓
コナラの緑もあざやかです。↓
こちらはカワラヒワ。 ↓
こちらはツグミね。↓
さて、自宅に戻って、やって来られた古本屋さんのお相手。
本の引き取りは、覚悟はしていても、
何ともがっくりしてしまう値段であります。
それでも、全部引き取ってもらえるのかと思えば、
めぼしいものを選んで、かなりのものを
「これは、値段が付きませんね。」
と置いていかれる始末で、
こちらとしては思い切った断捨離が、
何だか不発に終わった気分でありました。
残された本を再び書棚に何とかねじ込みながら、
「まあ、もうちょっと生きなさいよ~ということなのね。」
と思いなして、慰めるのでありましたが。
(本は少しずつ、ゴミとして捨てるしかないのかしらん??
と、少々せつなく哀しくなりますけど。)
本屋も生協に小さなコーナーが1箇所と医学書を扱うのが大学病院前に一軒のみ。生協にろくな本はなく、医学書専門店もきっと教科書を売っているに過ぎないのでしょうね。
これでは新本も古本も売れるはずがありません。私はこの頃もっぱらネットの「日本の古本屋」で専門書を買います。結構いい本が安くで、手に入ります。一方、今ある本は売れませんから、4月の初めに卒業生で専門が活かせる教育委員会に勤めた者にこれから見ることもないであろう研究対象でもない時代の弥生や古墳の本はプレゼントしました。買った時は数万円もするものがあったのですが、今や二束三文、それならこうした奴にやるのが一番。
その他の本もそのものにやってしまえばいいのですが、まだ少し未練があって。(笑)
ホント、人類が発明した「本」という素敵な情報発信装置は消えるのですかね。悲しい。
我が家の鉢植えの卯も花も咲き始めて、なかなか、きれいです。ホトトギスは、見かけませんが、ツバメは、あちこちで見かけます。駅の改札のすぐ上にもあるので、頭に落ちてこないよう、注意です。
皆さん、なんだか、身辺整理ですね。
うちも、見習ってほしいです。
なにせ、本以外に、新聞の切り抜きと、CDが山積み。新聞の抜きなど、黄色くなっていて、絶対に、利用しないと断言できます。
そのうち、つまずいて、怪我するんだから・・・
以前、姪がまだ小学生の頃、「おじちゃん、もう少し整理したら」と言われたことがあります。でも、その姪も、大きくなると、「おじちゃん、この部屋、なんだか、落ち着くね」って、変わってきました。
本に囲まれた書斎の老後生活を幻想した若い時期もありましたけど、今は、思い切ったつもりでも、なお整理しがたい本がまだまだ沢山。部屋の中はすっきりしません。洪水のイメージが少し遠のいたというところでしょうか。
先ほど廃品回収に本を少し捨てに行ったところです。こんな風に少しずつ捨てていくことですね。ぼちぼちですわ。
きっと切り抜きする作業が捨てがたい快感なんでありましょうね。まったくうーさんらしいというところでしょう。