.

.

水菜の卵とじ弁当/水菜の思い出

2015年12月25日 | 田舎生活の衣食住
 水菜を甘辛く煮付けて卵でとじただけ。水菜は、シャキシャキして美味しいからね。それをご飯に乗せて丼一丁上がり。
 ほかには、魚ハンバーグ、薩摩揚げ、キンピラゴボウ(昨日のサラダのリメイク。最初は砂糖だけで炒め煮にして、マヨネーズと和えてサラダに。次に、残りを出汁醤油と一味唐辛子で味を整え、キンピラにします)。大根のサラダです。










 千六本に切った大根と帆立の貝柱のサラダって、「んめーよな」。帆立は高いから普段は食べられないですが、大根だけでも辛しマヨネーズに黒胡椒を効かせたサラダは好きです。
 「おー、まい、がっと」。「失敗」ではなくて、そもそも「間違い」でした。
 水菜、美味しい。卵とじ丼、美味しい。ご飯、美味しい。が、水菜丼にしたら、各々が独立していて、全く丼物の意味がありませんでした。
 水菜はポン酢でいただいた方が美味しい。味が染み込むのではなく、絡む野菜なので、煮ては駄目でした。
 これは水菜をおひたし、もしくはポン酢で食べて、キンピラの方を卵とじ丼にするのが「正解」だったと思います。

 水菜を初めて食べたのは、名古屋だったか大阪だったかは忘れましたが、とにかく西でした。当時は、関西方面でしか食べられない野菜だったのですよ。
 鍋にしていただいたのですが、余りの美味しさに、水菜ばかりをガツガツ食べていました(笑)。迷惑な話ですよね。今ではあの時の鍋は何鍋だったのか、ほかにどのような具が入っていたのかは思い出せないくらいに水菜のインパクトが大きかったのでした。
 月日は下り、東京でも水菜を食べられるようになり、更に壬生菜と言う野菜も出回り始め、水菜と壬生菜の違いは、未だに分かりませんが、京都の壬生村で育てている水菜を壬生菜と呼んでいるんじゃないかと、勝手にそう決めています。
 壬生村と言えば、「新選組」の最初の屯所があった場所ですが、子母澤寛氏の著書の中にも、屯所にしていた前川邸前は壬生菜の畑だったと記されています。
 今ではどこに居ても手に入る水菜。そうなると、余り食べなくなるものですね。久し振りに食べようと思った次第です。どうして食べなくなったのかなあ…。食べながら思い出しましたよ。歯に挟まるのです(笑)。







読んでくださいましてありがとうございます。ランキングに参加しています。ご協力お願いします。