今朝(と言っても深夜だけど)は最低気温が0度ありました。氷点下までいかないと、比較的楽です。
年内の買い物は済んだ筈でしたが、やはりミカンが必要だったと思いたち、今度こそ本当に年内最後の買い物でした。出掛けると、ついつい色々買ってしまうので、なるべくまとめて買い置きをし、出掛ける回数を減らしているのです。
ミカンはね、1個で良かったのだけれど、この時期、袋詰めしかありませんでした。
何に使うかと言うと、キントンの色付け用です。無くても良いやと思っていましたが、やはり黄色いキントンの法が美味しそうですものね。
ついでに、甘栗も購入。これで栗キントンになる。例年は、「ダイソー」で栗の瓶詰めを買っていたのですが、今年はとうとう見当たらず、ほかで買うと高いので、甘栗で代用です。大丈夫。今年のキントンはちょっと工夫をするので甘栗でも気にならない筈です。
そして郵便局へ行ったら、もうビックリ。子どもが自宅のリビングばりに雄叫びを上げながら走り回っているじゃありませんか。
そして、上りの立っている台座に上って上りを揺らす。揺らす。それを見た父親、「上るのは良いけど、折らないでよ」。って良かねーよっ!
子が子なら親も親で、見ていると腹が経つので、用事が済まないまま退散。自らの身を守るには、近寄らない事…んっ、これって…中国に住んでいた頃の法則と同じだ。
しかしまあ、今時の親がマナーやモラルを知らないのだから、子どもの躾も満足には出来ないでしょうが、それで育つ子が親になった時、ニッポンってどうなるのだろうか?
そして、そして、あんな迷惑なガキにも我々の血税から、子ども手当が支払われているということは、我々の庇護で生活しているのだから、他人でもきっちり叱って良いのではないかと考えました。どうでしょうか?
他人に叱られるのが嫌、他人の迷惑なんか関係ない、好き勝手させるのなら、子ども手当を辞退するとか、均一に支払うのではなく、試験のようなものをクリアした子にだけ支払うとか、規定が必要なのではないでしょうかねえ。
日本国憲法には、子どもの養育は親の義務と定められています。それを承知で作った子どもにどうして他人の血税が支払われなくてはならないのか。
もっともっと、税金を生かす使い方があるように思えるのです。
今年最後の愚痴になりました。
またまたそぼろキムチ丼を食べちゃいました。病み付きの美味しさです。キムチにはまり、通販サイト迄検索しちゃったくらい。以前、韓国人が漬けた、大葉のキムチの味が忘れられません。本当に美味しかった。
タクシーでぶち切れた話。
まずは、バンコクにて。なぜか目的地の反対方向に走り出したタクシー。「違う」と言っても聞き入れず、案の定渋滞に巻き込まれました。バンコクの渋滞は30分、1時間など当たり前です。10分立っても1mも進みやしない。進行方向に走っていればとうに着いている時間でも、未だ未だ、乗車地点が見える距離。
もやもやした気分に包まれていましたが、流石に30分以上経つと、もやもやがきーんとした怒りに変わり、ドアをぶち破らんばかりに開けて飛び降りました。
香港では、空港からのタクシーにあからさまに遠回りされ、行かなくて良い道迄通られました。
メインストリートを外れ、坂道なんか上ったり下りたりです。「どうしてこんな道を通る」と声が振るえました。目的地に着いて大喧嘩というより、一方的に怒鳴り散らしました。何故、途中で下りなかったかと言うと、トランクに荷物が入っていたからです。
この時ばかりは仕方無しに料金を支払いましたが、悔しいったらありゃしない。
同じく香港では、タクシーが空港に着いた途端、急激にメーターが上がったのです。倍です。
下りて、荷物を出してから、またまた大騒ぎ。すると、「日曜だから休日料金だ」などと抜かしやがる。そんなシステム聞いた事もありません。
通常料金と思われる額(より少し多め。何故ならおつりが貰えないから)を後部座席の窓から投げ込んで、空港内に向かいました。
上海では、「○○迄。知っているか」と聞いたら、「知っている」と言うので乗車したのですが、明後日の方向に行き出したのです。
何度も「違う」と言っても、「分かっている」と自信たっぷり。そうなると、自分が知らない道なのかも知れないと思い出したのですが、着いたところは、これまたすっとこどっこいな場所。
「違う、本当に知っているのか」。との押し問答で、今度は自分で道を誘導したのですが、結局ドラーバーの知ったかぶりでした。
で、余りにもウロウロしたのでメーターは上がる一方。腹立たしさに、とうに沸点を超えた自分は、メーターを自らの手で倒しました(中国では助手席に乗ります)。
まあ、掴み合いに喧嘩にならなくて幸いでした。
ニューヨークでも、目的地に行くのに、何故か西に大回り。「違うって○○だ」。「大丈夫だ」。と、何度も繰り返しますが、どう考えても西に大回りされていたのです。「ちっくしょー。旅行者の日本人だと思って、遠回りしているな(旅行者なのだけれど)」と、この時も沸点を大きく上回る怒りにまかせ、後部座席からドライバーのシートを蹴りまくりました。
結果、通常料金で着きました。大分飛ばしたようです。「ほうら、着いただろう」と、ドライバー。料金が同じなら文句はありません。
続けて、「どうして日本人なのに、ヒルトンとかシェラトンに泊まらないのだ」と、聞かれました。「日本人だからって金持っていると思うなよ」。と、訳の分からない怒声を浴びせたわたくし。
ボストンでは、あからさまに同じ所をグルグル回られました。これ程、単純で明らかな料金詐欺の手口も珍しいくらいでした。
この時もトランクの中には、荷物があったので、下りるに下りられず、拳を握りしめて耐えました。
こんな具合に、「ああっ、悔しい」と思えるタクシーが何度かあったのです。その度に抗議したり、ちょっと暴れたりしましたが、本当はこれは厳禁。
ニューヨークでは、何十年も住んでいる知人から、「殺されちゃうから、頼むから(逆らうのは)止めてくれ」と言われたものでした(笑)。
また、バンコクのタクシードライバーは、銃を持っている場合もあると聞いた事があるので、乗車前に、「この人ちょっとなあ」と違和感を感じたら、そのタクシーは見送りましょう。
赤と青のツートンが大きな会社なので、比較的安全と言われています。次が緑とオレンジのツートンです。この2社以外は乗らない方が懸命です。
年内の買い物は済んだ筈でしたが、やはりミカンが必要だったと思いたち、今度こそ本当に年内最後の買い物でした。出掛けると、ついつい色々買ってしまうので、なるべくまとめて買い置きをし、出掛ける回数を減らしているのです。
ミカンはね、1個で良かったのだけれど、この時期、袋詰めしかありませんでした。
何に使うかと言うと、キントンの色付け用です。無くても良いやと思っていましたが、やはり黄色いキントンの法が美味しそうですものね。
ついでに、甘栗も購入。これで栗キントンになる。例年は、「ダイソー」で栗の瓶詰めを買っていたのですが、今年はとうとう見当たらず、ほかで買うと高いので、甘栗で代用です。大丈夫。今年のキントンはちょっと工夫をするので甘栗でも気にならない筈です。
そして郵便局へ行ったら、もうビックリ。子どもが自宅のリビングばりに雄叫びを上げながら走り回っているじゃありませんか。
そして、上りの立っている台座に上って上りを揺らす。揺らす。それを見た父親、「上るのは良いけど、折らないでよ」。って良かねーよっ!
子が子なら親も親で、見ていると腹が経つので、用事が済まないまま退散。自らの身を守るには、近寄らない事…んっ、これって…中国に住んでいた頃の法則と同じだ。
しかしまあ、今時の親がマナーやモラルを知らないのだから、子どもの躾も満足には出来ないでしょうが、それで育つ子が親になった時、ニッポンってどうなるのだろうか?
そして、そして、あんな迷惑なガキにも我々の血税から、子ども手当が支払われているということは、我々の庇護で生活しているのだから、他人でもきっちり叱って良いのではないかと考えました。どうでしょうか?
他人に叱られるのが嫌、他人の迷惑なんか関係ない、好き勝手させるのなら、子ども手当を辞退するとか、均一に支払うのではなく、試験のようなものをクリアした子にだけ支払うとか、規定が必要なのではないでしょうかねえ。
日本国憲法には、子どもの養育は親の義務と定められています。それを承知で作った子どもにどうして他人の血税が支払われなくてはならないのか。
もっともっと、税金を生かす使い方があるように思えるのです。
今年最後の愚痴になりました。
またまたそぼろキムチ丼を食べちゃいました。病み付きの美味しさです。キムチにはまり、通販サイト迄検索しちゃったくらい。以前、韓国人が漬けた、大葉のキムチの味が忘れられません。本当に美味しかった。
タクシーでぶち切れた話。
まずは、バンコクにて。なぜか目的地の反対方向に走り出したタクシー。「違う」と言っても聞き入れず、案の定渋滞に巻き込まれました。バンコクの渋滞は30分、1時間など当たり前です。10分立っても1mも進みやしない。進行方向に走っていればとうに着いている時間でも、未だ未だ、乗車地点が見える距離。
もやもやした気分に包まれていましたが、流石に30分以上経つと、もやもやがきーんとした怒りに変わり、ドアをぶち破らんばかりに開けて飛び降りました。
香港では、空港からのタクシーにあからさまに遠回りされ、行かなくて良い道迄通られました。
メインストリートを外れ、坂道なんか上ったり下りたりです。「どうしてこんな道を通る」と声が振るえました。目的地に着いて大喧嘩というより、一方的に怒鳴り散らしました。何故、途中で下りなかったかと言うと、トランクに荷物が入っていたからです。
この時ばかりは仕方無しに料金を支払いましたが、悔しいったらありゃしない。
同じく香港では、タクシーが空港に着いた途端、急激にメーターが上がったのです。倍です。
下りて、荷物を出してから、またまた大騒ぎ。すると、「日曜だから休日料金だ」などと抜かしやがる。そんなシステム聞いた事もありません。
通常料金と思われる額(より少し多め。何故ならおつりが貰えないから)を後部座席の窓から投げ込んで、空港内に向かいました。
上海では、「○○迄。知っているか」と聞いたら、「知っている」と言うので乗車したのですが、明後日の方向に行き出したのです。
何度も「違う」と言っても、「分かっている」と自信たっぷり。そうなると、自分が知らない道なのかも知れないと思い出したのですが、着いたところは、これまたすっとこどっこいな場所。
「違う、本当に知っているのか」。との押し問答で、今度は自分で道を誘導したのですが、結局ドラーバーの知ったかぶりでした。
で、余りにもウロウロしたのでメーターは上がる一方。腹立たしさに、とうに沸点を超えた自分は、メーターを自らの手で倒しました(中国では助手席に乗ります)。
まあ、掴み合いに喧嘩にならなくて幸いでした。
ニューヨークでも、目的地に行くのに、何故か西に大回り。「違うって○○だ」。「大丈夫だ」。と、何度も繰り返しますが、どう考えても西に大回りされていたのです。「ちっくしょー。旅行者の日本人だと思って、遠回りしているな(旅行者なのだけれど)」と、この時も沸点を大きく上回る怒りにまかせ、後部座席からドライバーのシートを蹴りまくりました。
結果、通常料金で着きました。大分飛ばしたようです。「ほうら、着いただろう」と、ドライバー。料金が同じなら文句はありません。
続けて、「どうして日本人なのに、ヒルトンとかシェラトンに泊まらないのだ」と、聞かれました。「日本人だからって金持っていると思うなよ」。と、訳の分からない怒声を浴びせたわたくし。
ボストンでは、あからさまに同じ所をグルグル回られました。これ程、単純で明らかな料金詐欺の手口も珍しいくらいでした。
この時もトランクの中には、荷物があったので、下りるに下りられず、拳を握りしめて耐えました。
こんな具合に、「ああっ、悔しい」と思えるタクシーが何度かあったのです。その度に抗議したり、ちょっと暴れたりしましたが、本当はこれは厳禁。
ニューヨークでは、何十年も住んでいる知人から、「殺されちゃうから、頼むから(逆らうのは)止めてくれ」と言われたものでした(笑)。
また、バンコクのタクシードライバーは、銃を持っている場合もあると聞いた事があるので、乗車前に、「この人ちょっとなあ」と違和感を感じたら、そのタクシーは見送りましょう。
赤と青のツートンが大きな会社なので、比較的安全と言われています。次が緑とオレンジのツートンです。この2社以外は乗らない方が懸命です。
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