内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

宮澤賢治作品における現象学的記述

2013-08-27 00:00:00 | 哲学

 今日8月27日は、宮沢賢治の生まれた日である(1896年)。それにちなんで、今日の記事は宮澤賢治について。
 2010年に弘文堂から『宮澤賢治イーハトヴ学事典』が刊行された。この事典の特徴は、賢治作品読解のためのキーワードや既存の宮澤賢治研究を網羅的に紹介するだけではなく、これからの新しい宮沢賢治研究の多様な可能性をも先取りすることをその目的としており、それはユニークで野心的な試みだったと言える。私はこの事典の「現象学」(賢治自身の言う「現象論」ではない)という項目を担当した。そのために2009年の一夏は賢治全集を読んで過ごした。大変高価な事典で、実はまだ実物を見ていない。賢治の研究者やよほど熱烈な愛読者でもないかぎり、個人で購入される方はそう多くないのではないか。私が担当した項目も、だから、ほとんど読まれることはないだろうと思われる。それは正直少し残念に思っている。そこで、少し宣伝の意味も込めて、だが何よりも賢治に関心を持たれる方々に少しでも多く見ていただき、延いてはこの『事典』そのものを手にとって見ていただきたいという偽りのない気持ちから、その項目を、今日と明日の2回に分けて、このブログに再録しておきたい(ただし、それが著作権法に抵触するのであれば、直ちに削除いたします)。

 賢治の諸作品、とりわけ『春と修羅』において実践された心象スケッチには、素朴実在論からまったく解放された、現象学的とも呼べる記述的態度を見て取ることができる。
  19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパでもアメリカでも、生きられる「事象そのもの」への回帰という哲学的態度が、フッサール、ベルクソン、ウィリアム・ジェームズらによって、一つの大きな思潮として形成されていくが、それが日本へと流入して来るのが、明治末期から大正期である。フッサール現象学そのものの日本への受容は、大正初期の西田幾多郎よる紹介に始まり、京都学派に属する哲学者たち ― 田邊元、山内得立、三宅剛一、三木清、あるいは東北大学の高橋里美らによって、大正時代から昭和初期にかけて、その理解の深まりとともに、本格化していくが、その過程は、賢治の文学と思想が形成されていく時期と重なり合う。
 賢治がフッサール現象学について何らかの知見を得た形跡は、作品中にも、書簡中にも、伝記的事実の中にも認められない。しかし、現象学の基本理念が「意識によって生きられた具体的経験への回帰」であり、その基本的態度は「意識に立ち現われるすべてのものを、それが意識に立ち現われるままに、何ものかの意識における純粋な顕現として記述すること」であり、現象とは「事物の多元的で多様性をもった動的な在り方のこと」と定義されうるなら、その理念は『春と修羅』における心象スケッチのそれでもあり、その態度は心象スケッチによって実践されている態度でもあり、その現象の定義は心象スケッチによって捉えられた諸現象にも適用されうる定義だと言うことができる。
 心象スケッチは、世界と切り離された作者の内面の記述でもなく、その単なる想像力の産物でもなく、作者がそこにおいて生きている世界が作者の意識に立ち現われてくる、そのダイナミックな現われ方の記述である。そこに「多少の再度の内省と分析」(『注文の多い料理店』広告文 )は加えられたにしても、それは既得の内的印象の事後的・反省的な再構成ではなく、そのつど更新される〈書く〉というプロセスを通じて経験される、自然との共感の記録である。それは、現象と意識とが不可分であることを、その経験の現場で記録したドキュメントになっている。