内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

戦争と哲学者 ― 哲学的抵抗とその挫折 ―

2013-08-15 07:00:00 | 哲学

 今日が終戦記念日だから特に上記のテーマを選んだというわけではありません。13日から始まったことになってしまった(って、誰のせいでもありませんが)、このブログの「お盆休み中特別企画」の第2弾の内容がたまたまこの日に「相応しい」テーマだったというまでのことです。でも、このような物言いをしたからといって、今日という日を軽く考えているということではありません。因みに、カトリック世界では、8月15日は聖母被昇天祭。ヴァカンスのまっただ中の国民の祝日。

 このテーマについて、来月末、アルザス・欧州日本学研究所(CEEJA)で開かれるストラスブール大・京大共催の研究集会で発表することになっている。その日本語の発表原稿を9月8日までにストラスブール大側の集会責任者に送らなくてはならないのだが、まだ1行も書いてない……。しかも、恐ろしいことに(と言ったって、何ヶ月も前からわかっていたことだから、これもまた誰のせいでもないが)、昨年よりさらに1週間前倒しされたせいで、9月2日が大学新学年仕事始めなのだ(とうとう小・中・高と同じレベルになってしまった……)。その上、8月20日まで(って後5日しかないじゃないですか!)に仕上げなくてはならない仏語原稿が2つある(もうこれは月末まで締め切りを延ばしてもらうしかない)。どうしていつもこういうことになるのか。我ながら情けない。記録的な酷暑のせいにしても、誰も同情はしてくれないのである(当然です)。すべての原稿を書き始めるのはパリの自宅に戻ってからにするとして(つまり、差し迫る仕事の山から卑怯にも目を背けて)、5月前半に早々に日仏両語で書いておいた発表要旨(そこまでは調子よかったのに…)の日本語版だけをここに掲載し、自虐的に自分を精神的に追い詰めておくことにする。

 歴史教科書の国家による検閲に反対する32年に渡る民事訴訟「家永教科書裁判」と戦争責任論によって、国際的にもよく知られた家永三郎(1913-2002)は、フランスではその思想史家としての大きな業績についてはまだほとんど知られていない。この分野での家永の大きな仕事の1つに『田辺元の思想史的研究 戦争と哲学者』(1974)がある。田辺は、戦後、戦時下の日本帝国主義体制の理論的協力者として、拙速かつ表面的な仕方で批判されたが、家永は、田辺哲学の展開を、いつものように文献学的厳密さを保ちつつ丹念に追いながら、宗教的信仰と社会的実践とを弁証法的に統一しようとする理論的努力の中に田辺哲学の問いかけの真正性を認める。家永による田辺哲学のこの誠実な理論的復元は、しかしながら、まさにこの厳密に構成された哲学の只中に、哲学者が戦時中の超国家主義的支配体制に対して理論的な距離を保つことを妨げた一つの問題性がないのか、と私たち自身が自ら問うことなしにすませることを許してはくれない。家永の田辺解釈に対する態度を決定した上で、私たちは最後に次のように問うだろう。哲学者自らもまた一〈主体〉として国家に従属せざるをえないとすれば、その国家に対して、どのような条件において、いかなる仕方で、どこまで哲学的抵抗は可能なのか。