内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

思想の地形学 ― ライン川流域神秘主義

2013-08-12 07:00:00 | 随想

 パリで教えるようになる以前、1996年から2000年までの4年間、パリから東に約500キロ、フランス東端ライン川の辺りの街ストラスブールに住んでいた。大学院博士課程の留学生として、最初に暮らした外国の地がこのストラスブールで、とりわけ深い愛着がこの街にはある。今でも年に何回か仕事の関係で訪れる。その度に、街並みの美しさはフランスの地方都市の中でも指折りだと思うが、これは贔屓目だろうか。ノエルのイルミネーションはことのほか美しく、毎年多数の観光客で賑わう。
 留学最初の一年弱は、街の中心部にあるショッピングセンターのすぐ近くの便利なだけが取り柄の粗末なアパートに住んでいたが、残りの3年余りは、市の北東部、ライン川から直線距離にして数百メートルの閑静な住宅街で暮らした。そこは、当時、一方では、新しいマンションが数棟建設中だったが、他方では、広大な敷地を持った古くからある個人宅が並び、その牧場には馬が放し飼いになっているのがバス通りから見えるなど、都市郊外の住宅地と田舎の風景とが混在するような地区だった。一帯に高い建物はなくて、マンションといってもせいぜい5階建て、私たちが住んでいたアパルトマンも3階建ての建物の最上階にあった。私が勉強部屋にしていた部屋の窓からは、ライン川の向うのドイツ側に広がるシュヴァルツヴァルト(黒い森)が見渡せた。街の北のはずれには、樹齢数十年から百年を超える、樫、楢、銀杏、糸杉、ポプラなど種々の樹々が様々な枝ぶりを見せながら点在する美しい庭に囲まれたお城があり、一時そのお城の一部を日本語補習校が図書室として借りていて、幼稚園入園前後だった娘もしばらくそこに通っていた。その城のさらに北側には大きな森が広がり、その森の中の樹々に覆われた歩行者・自転車専用道路をよく自転車で縦横に走り回った。
 その森を抜けて、ドイツとの国境をなすライン川の辺りに出ることもできた。ライン川は、スイス・アルプスのトーマ湖を水源とし、ドイツ・フランスの国境を北に向い、ストラスブールを越えてカールスルーエの少し南からドイツ国内を流れ、ボン、ケルン、デュッセルドルフなどを通過し、オランダ国内へと入ったあと2分岐し、いずれもロッテルダム付近で北海に注ぐ、ヨーロッパを代表する大河である。古城と伝説で有名なローレライ付近はこの河の航行の難所でもある。
 地図で見るとよくわかるが、ライン川を中心軸にして、ストラスブールの街のさらに西側には南北にヴォージュ山脈が走り、ドイツ側には、先ほど言及したシュヴァルツヴァルトがやはり南北に走っている。その2つの山脈に囲まれている平地をライン川が流れており、その平地の中心地がストラスブールである。南北に走る2つの山脈に挟まれていることによって、東西方向には他の地域からはっきりと区別された閉じた一帯であると同時に、ライン川によって南北方向には他の諸都市と繋がり、遥か彼方の北海にまで開かれている。それに、現在の国境からすればフランスの東端だが、西ヨーロッパ全体においてはほぼその中央に位置する。この閉鎖性、開放性、中心性という三重の特徴を持った地理的環境は、19世紀から20世紀にかけて揺れ動いた独仏国境などという近現代ヨーロッパ史にのみ関わる史実より遥か遠い昔から、中世都市ストラスブールにとっての所与であった。
 この地理的・地形的条件と、ストラスブールが中世後期から末期にかけてカトリック教会のそれまでの信仰の枠組みを揺るがすような異端的な神秘主義的運動の中心地であったこととの間には何らかの関係があると、ストラスブールに暮らしはじめてすぐに直感し、以来このインスピレーションに基づいた思想史の方法論を構想しようとしている。マイスター・エックハルトをその頂点とする中世キリスト教神秘主義が、フランスでは、「ドイツ神秘主義」とは呼ばれず、「ライン(川流域)神秘主義(La mystique rhénane)」あるいは「ライン・フランドル神秘主義(La mystique rhéno-flamande)」としばしば呼ばれるのも、だから、もっともなことだと私は考える。もちろん、1つの宗教思想運動の発生の政治的・経済的・社会的諸条件を無視することはできないが、その地理的・地形的諸条件を特に考察対象とする、いわば「思想の地形学」とでも呼ぶべき研究方法も、思想史研究の1つの補助的なアプローチとしてはありうるのではないだろうか。