内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

論理と生命、倫理と論理、哲学と詩作

2013-12-02 02:45:00 | 哲学

 今日(1日日曜日)は、朝いつものように一時間泳いだ後は、一日講義の準備。今週の講義は、イナルコでの「同時代思想」が丸山眞男をテーマとしているだけでなく、本務校での二つの講義「日本文明」「日本近代史」のテーマも丸山眞男と関係しているので、丸山の著作と丸山研究書で手元にあるものすべて計十数冊を机の上に積み上げて、それらのあちこちを読み、主にイナルコの講義のために学生たちに予め送る講義資料の作成をしながら、同時に、学部一年生の講義のために、鎌倉新仏教を「原型」を「突き破って烈々とした光を放った思想と運動」として高く丸山が評価している東大での講義録の箇所を読み直し、かつ、学部二年生の講義のために、戦後間もない時期に発表された「明治国家の思想」(1946)と「自由民権運動史」(1948)も読み直す。イナルコの講義では、主に論文「歴史意識の古層」の基本概念と方法論について話すつもりなのだが、その前置きとして言っておくべきことも多く、それだけでも相当時間がかかりそうで、当の論文の紹介はほんの「さわり」だけということになるかもしれない。
 さて、昨日の記事で予告した来年からの長期的研究計画の話だが、今日の記事のタイトルとして掲げたのが、その鍵となる三つの対概念である。「論理と生命」は、西田が1936年に発表した後期西田哲学の主要論文の一つのタイトルで、私自身博論で詳細に検討した論文でもあるのだが、それを直接の対象とするということではなく、9月来頻繁に取り上げてきた「種」の問題をさらに広くかつ深く考察するために導入されるべき対概念として掲げた。この問題系では、生命が自らの論理を自覚する過程、そして西田が言う歴史的生命において論理が形成する過程において〈種〉をどう位置づけるかによって異なってくる論理の諸型を考察する。「倫理と論理」は、田辺が「種の論理」期に発表した論文の一つのタイトルでもあるが、西田の場合と同じく、この論文だけを特に対象とするのではなく、「種の論理」における論理と倫理の関係の問題を広く考察することを目的としている。社会的実践、政治的行動、法的正義、倫理的価値、道徳的善、宗教的経験等の問題もここで問われることになる。三つ目の対概念として掲げた「哲学と詩作」という問題系では、哲学的思索と文学的創造との関係、さらには生きられれる世界における言語活動そのものの想像力と創造性が考察の対象となる。
 この一年の最後一月、新しい社会存在の哲学のための基礎概念としての可塑的〈種〉についての論文を書きつつ、来年からの長期的研究計画を練っていこう。たとえ蝸牛のごときささやかで遅々たる歩みであっても、焦らず怠らず、日々考えてゆこう。