帰国のたびに購入する日本語の本の大半は、研究や講義の参考文献としてだが、それらのうちの多くは斯界の碩学たちによるもので、それぞれの「あとがき」を読むだけで、学問に対する姿勢について学ぶところ少なくないばかりか、数十年に渡る研究についての著者たち深い感慨に触れ、心打たれることしばしばである。
例えば、白川静『初期万葉論』の「あとがき」はこう始まる。
『万葉』についての考説を試みることは、私の素願の一つである。はじめに中国の古代文学に志したのも、そのことを準備する心づもりからであったが、久しく流連して帰らぬうちに歳月も過ぎて、すでに遅暮の感が深い。
中国古代文学や漢字研究における白川静の記念碑的な業績を知る者は、1979年初版出版時69歳にして記されたこのさりげない一言だけで、学問に志すということがどれだけの遠き道のりに踏み入ることなのかと、畏怖の感さえ覚えざるをえない。各章の主題と目的について簡潔明瞭に説明した後、その「あとがき」はこう閉じられている。
この書が私にとって、そのような問題を考える機縁を与えてくれるものとなることを、希望する。