内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

プラグマティズム草創期とパースの不遇 ― 鶴見俊輔『アメリカ哲学』を読みながら

2013-12-30 23:16:28 | 読游摘録

 来月1月21日にパリ第七大学で行われる「文化生成のダイナミクス―断裂と継承、もしくはミメ―シス問題」と題された研究集会にディスカッサントとして参加する。詳しいことは知らないのだが、送られてきたポスターを見ると、明治大学が主体となってパリ第七大学がそれをサポートするという形で計画された集会のようである。明大の先生方三人が発表し、それに対してフランス側の研究者がディスカッサントとして応じるという形になっている。私が参加させていただくのは、合田正人先生の「日本のプラグマティスト、鶴見俊輔 ― 哲学の刷新とアジアの薄暗」と題された午前中の仏語での発表に対するディスカッサントとしてである。午後は、井戸田総一郎先生と大石直記先生とによる森鴎外についての日本語での発表が二つ。こちらはフランスを代表する日本近代文学研究者二人、セシル・坂井とエマニュエル・ロズランがディスカッサントとしてお相手する。
 今、その準備として、鶴見俊輔の『アメリカ哲学』を読んでいる。これが実に面白い。初版は1950年刊行。つまり日本がまだアメリカ進駐軍の支配下にある戦後5年目に、鶴見が28歳で発表した処女作である。鶴見は、戦中ハーバード大学でプラグマティズムのいわば現地教育を受け、戦後日本におけるプラグマティズム受容にとって最初の本格的な紹介者として重要な役割を果たしたことはよく知られている。しかし、それは、アカデミズムにおける一研究対象としてのプラグマティズムの「客観的」紹介ではなく、むしろ一般の日常生活から遊離したそのようなアカデミズムに批判的な立場からなされた、現実生活における実践的哲学の一つの具体的な形としてのプラグマティズムのいわば「主体的」紹介・解説・導入の試みなのである。
 いわゆる研究対象としては、日本でもその後様々に扱われてきたプラグマティズムではあるが、その淵源となった1870年代の「形而上学クラブ」の参加者については、チャールズ・サンダーズ・パース(1839-1914)とウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)を除いては、今日知る人も少ないであろう。ところが、この草創期が面白い。私自身の関心領域からしても、以下に引く発言は今日なお批判的検討に値する。

西田哲学におけるもっとも重大な業績が『善の研究』であり、『善の研究』中のもっとも重要な主張が、真実在は物心未分の境にあるということだと、佐藤信衛その他は説き、さらにこの考えは、西田がジェイムズを読むことをとおして把握されたことも西田の青年時代の日記を通して明らかである。西田哲学における最も重大な考えは、チョーンシー・ライトに始まり、ウィリアム・ジェイムズをとおって、西田幾多郎に流れ入ったものと言える。

『鶴見俊輔著作集』第一巻、筑摩書房、1975年、9頁。

 プラグマティズムの草創期から見ると、パースの哲学がいかに時代を超えて独創的でありながら、ジェームズの名声の影に不当に小さな評価に甘んじてきたかがよくわかる(もちろん今日は事情が異なり、パースの独創性は日本でもよく認識されている)。鶴見の記述もパースに割かれた二章において精彩を放っている。それにそこでの鶴見の自分の無知を認める率直さは、今日の「なんでも知っていらっしゃる」有能な研究者たちには完全に失われた態度として、とても新鮮である。その一節を引く。

 僕はパースについて独自の見解を持っているわけではない。正直に言えば、パースは僕にとって難しすぎる。大学に入った年に、ある講座のためにはじめてパースの論文を四つほど読み、少しも分らなかった。その次の年の夏休みに、勇猛心を奮い起こして、選集を読んだ。さらに最後の年に卒業論文の都合もあって、個人指導にあたって頂いたクワイン教授と一緒に、全集の一部を読んだ。しかし依然として、含蓄のはっきり分らぬ部分がたくさんある。
 そんな僕が、なぜパースのために二章も設けて、その思想の解説をするかというと、日本におけるプラグマティズムの解説が、これまでパースを完全に閑却してきたことを残念に思うからだ。プラグマティズムについての真面目な勉強は、何としても、まずパースの門をくぐらなくてはならない。(同書11頁)

 『パース著作集』(全三巻、勁草書房、1985-1989年)や『連続性の哲学』(岩波文庫、2001年)が容易に入手できる今日でも、というよりもそのような今日だからこそ、鶴見のこの引用の最後の一文はよりよく聴かれなくてはならないのではないだろうか。
 明日の記事では、その二章からの引用を交えつつ鶴見によるパース哲学紹介の紹介とそこから得られた若干の私見を述べる。