内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

熟成を待つ ― 読書日誌から

2013-12-15 04:18:00 | 雑感

 今週水曜日の講義が終わった後は、木・金・土と、様々な分野に渡る数十冊の本を机の上に積み上げて、終日読み散らしていた(プールには先週木曜日から毎日休まずに通っている)。ときどきこういう状態に陥る。
 ある本を数頁読んでは、別の本へ、ということを繰り返し、また最初の本に戻ったりもする。そうしながら、いくつかのアイデアが形になるのを待つ。待つといっても、待っていれば必ずアイデアがやってきて形になってくれるわけではない。しかし、たいていは一つや二つは形になってくる。そうなれば、それを反芻し、より形を明確にしたところで、寝かせる。というか一旦忘れる。そのアイデアがそれでも生きていれば、その忘れられている間に熟成される。それが数日か、数週間か、数ヶ月か、あるいはさらに長い期間になるかは、そのアイデアの深みと広がりによる。なんかちょっと酒造りみたいである。
 このような傍目から見れば呑気な読書三昧にしか見えないであろう何日間かは、果てしなく続く研究生活という耐久レース中のピットインみたいなもので、ときどきこうして燃料補給とタイヤ交換をしておかないと、コース上でトラブルが発生し危険であり、最悪リタイアという結末にもなりかねないから、どうしても必要なのであると自分で自分に言い訳をしている(それにしても三日は長すぎるという意見もある)。
 そのようにして読み散らした数十冊の本の中から、これからの思索と研究へのヒントあるいは手掛かりを特に与えられた八冊の本を挙げておく。
 佐竹昭広『萬葉集抜書』(岩波現代文庫 2000年。初版は1980年)。井筒俊彦が「畏友」と呼ぶこの日本古典文学研究の傑出した碩学が萬葉集に即して自らの方法論の精髄を示した名著。
 吉本隆明『源実朝』(ちくま文庫 1990年。初版は1971年)、『西行論』(講談社文芸文庫 1990年。初出は大和書房刊『吉本隆明全集撰6』1987年)。詩人・思想家である吉本にしてはじめて可能な、日本文学史上最も純粋かつ深い二つの詩魂の洞察に満ちた読解。
 Olivier Schefer, Novalis, Paris, Éditions du Félin, 2011. フランス語による初の本格的なノヴァーリス伝。二九歳で夭折したこの天才詩人哲学者の目も眩むような多様性を包蔵した作品群と膨大な断章からなるその全体を、「詩と科学の統一」という壮大なロマン主義的企図の中に位置づける。この伝記の著者は、仏語版ノヴァーリス全集を翻訳・編纂中だが、その過程での成果として、ノヴァーリスの断章集を Le monde doit être romantisé というタイトルでAllia から袖珍本として2002年に出版している。
 Gabielle Ferrières, Jean Cavaillès Un philosophe dans la guerre 1903-1944, Paris, Éditions du Félin, 2003. 二十世紀前半のフランスの論理学・数理哲学の分野で決定的な業績を上げながら、レジスタンスの闘士として1944年四一歳でナチス・ドイツに銃殺された不世出の哲学者・論理学者カヴァイエスの、三歳年上の姉の手になる感動的な伝記。この再版のための前書きを Jacques Bouveresse が書いている。巻末には、カヴァイエスの親友の一人だったバシュラールが1950年に書いたカヴァイエスの業績について解説が併録されている。
 Hervé Pasqua, Maître Eckhart Le procès de l’Un, Paris, Cerf, 2006. エックハルト思想を〈一〉と〈存在〉の関係という大きなパースペクティヴの中に位置づけ、自らの新プラトン主義的な観点から、エックハルトを批判的に検討し、それを超え出る方向性を示そうという野心的な試み。
 Pierre Gire, Maître Eckhart et la métaphysique de l’Exode, Paris, Cerf, 2006. 1989年に国家博士論文として提出された大論文の抜粋版(といっても400頁以上の大著)。エックハルトの『出エジプト記注解』を主たる対象として、「我は在りて在るもの」という根源的な聖書の言葉を出発点として、同注解における形而上学・神学・神秘主義という三重の言語の交錯の中に、生ける神の経験、キリスト教の三一なる神 ― 絶対的生がそこに生れる神が読み解かれる。
 Georges Friedmann, La puissance et la sagesse, Paris, Gallimard, 1970. カヴァイエスとも親交があった社会学者の、決してそれとしては書かれることなかった知的自伝の代わりとなる、生きられた時代状況の只中での内省的断章。Pierre Hadot が « Exercices spirituels » (Exercice spirituels et philosophie antique, Albin Michel, 2002) の冒頭にその一節を引用している。1942年8月3日の日付をもった断章の一部である。それを原文のまま以下に引用し、今日の記事の締め括りとする。

« Prendre son vol », chaque jour ! Au moins un moment, qui peut être bref pourvu qu’il soit intense. Chaque jour, un « exercice spirituel », — seul ou en compagnie d’un homme qui, lui aussi, veut s’améliorer.
Exercices spirituels. Sortir de la durée. S’efforcer de dépouiller tes propres passions, les vanités, le prurit de bruit autour de ton nom (qui, de temps à autre, te démange comme un mal chronique). Fuir la médisance. Dépouiller la piété et la haine. Aimer tous les hommes libres. S’éterniser en se dépassant.
Cet effort sur soi est nécessaire, cette ambition — juste. Nombreux sont ceux qui s’absorbent entièrement dans la politique militante, la préparation de la Révolution sociale. Rares, très rares, ceux qui, pour préparer la Révolution, veulent s’en rendre dignes (ibid., p. 359-360).