内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ポリフォニックな詩的レクイエム ―『水無瀬三吟百韻』

2014-10-08 19:55:24 | 講義の余白から

 今日の中世日本文学史は、『玉葉集』と『風雅集』からそれぞれ一首ずつ評釈することから始める。どちらも古典秀歌集に収録されることが多い、それぞれ鎌倉末期と南北朝時代初期の歌風を代表する名歌。

枝にもる朝日の影の少なきに涼しさ深き竹の奥かな (京極為兼)

花の上にしばしうつろふ夕づく日入るともなしに影消えにけり (永福門院)

 こうした繊細な自然詠を評釈するためには、こちらもそれだけ感覚を細やかにしてイメージを喚起し、それをフランス語で表現しなければならないから、それだけ工夫も求められるが、それが楽しくもある。
 この二首の評釈の後は、和歌の衰退期の話になっていくから、そこはさらっと流して、中世の代表的な歌論の紹介に入る。取り上げたのは、『後鳥羽院御口伝』『毎月抄』『正徹物語』の三書。『御口伝』からは俊成と西行を評した有名な一節と定家についての屈折した評言。『毎月抄』からは、「心」と「詞」について論じた箇所から一節。『正徹物語』からは、定家の一首「風あらき本あらの小萩袖に見てふけ行く月におもる白露」を引いた上で「待つ恋」について論じている一段。それぞれ、歌人としての人物評、歌論的概念の規定、作品論とタイプを異にする文章。いずれの場合も要となる言葉はひらがなか易しい漢字で表記されており、構文的にも比較的単純であるから、見たところは学生たちにもとっつきやすく、それだけ内容に立ち入った説明に入りやすい。
 歌論の後は、本日のメインテーマである連歌。ここに一時間二十分ほどかける。連歌の成立過程と社会的背景からその完成期に至るまでを駆け足で一覧してから、古来連歌の最高傑作とされる『水無瀬三吟百韻』の紹介に時間をかける。連歌について話すのは今日が最初で最後だから、どうしてもこの作品だけは中身に少しでも触れて欲しかったからである。
 まずは作品成立の時代背景について少し説明する。それを知らずには、この作品の意義を十分に理解することができないからである。応仁の乱後十年余りを経た時代に、宗祇とその二人の高弟によって生みだされたこの傑作は、隠岐の島に流されそこで無念の死を遂げた後鳥羽院の二五〇回忌の法要時に、その鎮魂のために編まれ、院の離宮であった水無瀬宮に奉納された。だから、これは、三人の詩人によって唱和された、いわば詩的レクイエムと言うことができるだろう。
 評釈したのは表八句のみ。それだけでもいかにこの作品が、連歌の約束事を忠実に守りつつ、多様な文学的参照と重層的なイメージの変換と感覚の多元性を駆使しながら、過去への眼差し、現実世界と異界との境界領域、持続と同時性、記憶と現在、未来への志向といった様々なテーマを巧みに織り込んでいるかがよくわかる。その三声からなるそのポリフォニックな展開は見事という外なく、まさに傑作のプロローグとして卓越した出来栄えである。