内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

招かれざる夢と叶わぬ夢の間で

2014-10-20 18:34:27 | 雑感

 昨晩から今朝にかけて、何とも寝覚めの悪い夢を何度か見て、寝ることが何で休息にならずに、現実には関係のない余計な心労で寝ている間まで煩わされなければいけないのかと、目覚めて実に不愉快な気持ちになる。どうしてそうなるのか心理学や精神分析で説明してもらいたいとも思わない。それこそ余計なお世話である。普段寝付きはすこぶるよく、不眠症とはまったく無縁であり、朝早起きするのが辛いと思うこともほとんどないのであるが、ただ疲れさせられるだけの夢は時々見る。目覚めて実に損した気分になる。
 それもあって今朝もプールに行く気を削がれてしまった。しかし、答案採点は待ってくれないから、朝から作業を健気にも再開する。午前中に、古代文学史の採点終了。受験者三十五名で平均点十二・三。ちょっと高すぎる。十点以上取ったのが二十六名。最高点は十八・二。二位十七・一、三位十六・七。こんな点数が出ないようにしないといけない。今回は学生たちの「作戦勝ち」である。穴埋めを捨てて、説明問題の準備に集中したのだろう、配点の高いこの部分がよく出来ている。次回は配点を変更することで対処しよう(ちょっとセコいかな)。
 昼前から、古代史の採点に入る。文学史の試験で見られた傾向はもっと著しく現われている。自分で適語を探す穴埋めの方は、ほとんどの学生が完全に捨てているか、ただ当てずっぽうに適当に言葉を入れているだけ。そりゃそうだよなあ、彼らにしてみれば労多くして得るものの少ない暗記に試験準備の時間を割きたくはないであろう。
 採点の方がまあまあ順調に捗っているので、明後日明々後日の授業のためのパワーポイントの作成も並行して進める。ちょうど気分転換になってよかった。
 今日はこの後、あすから始まる修士一年の古典講読の準備をする。先週で終了した修士二年の演習と同様、一コマ二時間で六週間。全部でたった十二時間である。にもかかわらずテーマは二つ。「詩的表現における動的イメージ」と「日記文学における〈自己〉形成」。欲張りなのはわかっているが、単位取得に必要なレポートのために学生たちにさまざまテーマを提供するのが狙い。前者は、少ない言葉でいかに動的イメージを捉えるかという観点に絞って、和歌と俳諧の作品を考察する。第一回目の明日は和歌が対象。万葉集・古今・新古今から数首ずつ選び、手法の変化と形成されるイメージの変遷を見ていく。第二回目は俳諧。芭蕉と蕪村に集中する。第三回以降は、平安期の女流日記を読む。日記という表現形態が可能にする自己意識を問題にする。対象作品は、『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』。
 このようなアプローチの理論的根拠になっているのが、以前このブログの記事で取り上げた Georges GusdorfLes écritures du moiAuto-bio-graphie という二大著(両著はそれぞれ lignes de vie 1, lignes de vie 2 と副題が付いていることからもわかるように、二部作を成している)。さらには、Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, Le journal intime. Histoire et anthologie, Textuel, 2006 も参照される。こういう演習だけを一年間やっていたいのですけど、それは叶わぬ夢というものである。