明日からの一週間は新学年の授業が始まって六週目に当たり、私の授業ばかりでなく、ほとんどの他の授業でも中間試験を実施する。ただ、試験と言っても、通常の授業時間のうちの一時間を使って行うだけだから、量的には大したものではなく、先週までに勉强したところを学生たちがどれほど身に付けているかを確認するのがむしろ目的だと言ったほうがいい。それにしても、学生たちにしてみれば、全体としてかなりの学習量であり、今頃皆試験勉強に追われていることであろう。
試験問題はすでに先週中に作成し印刷済み、今週のすべての授業の準備は普段の半分の量で済むし、試験前で宿題も出さなかったから、添削もない。というわけで、こちらは少し楽ができる。もちろん今週末には答案の採点という苦行が待っているわけだから、それで「相殺」されるとも言えるが。
日曜日の今日は、そんなわけで、朝のプールもいつもより長く泳ぎ、行きも帰りも樹々と空を眺めながらゆっくりと歩いた。曇りがちだが、気温はさほど下がらず、穏やかと言ってもいいくらい。遠くから街の教会の鐘が風に乗って聞こえてくる。道沿いに並ぶポプラの高木の頂でカラスが一羽、辺りの農地を睥睨するかように一声鳴き声を発したの見上げて、その何か得意げな様子に思わず吹き出してしまった。
プールから戻って朝食を済ませてから、まず月末の発表原稿を少し書き足した。〈種〉の論理を未来志向的に読み直すのが発表の眼目だが、その積極性をより際立たせるために、原理としての〈調和〉と〈寛容〉の批判的考察を前置きとする。そこで、集合論・生物学・生態学・認知科学等の今日的知見を少し取り込もうとしたが、そうすると前置きが前置きで済まなくなりそうなので、あからさまな言及は避け、それらの知見を念頭に置きつつ、上記の二つの原理の批判に限定する。
原稿を書き足した後は、授業には関係のない本を、あちらこちら思うままに散策するように読んで過ごした。『増鏡』第十六「久米のさら山」の後醍醐帝隠岐の島への遷幸の途次の一節、Jules Lagneau, Écrits, Éditions du Sandre, 2006 の拾い読み、Gilbert Simondon, Cours sur la Perception (1964-1965), Les Éditions de La Transparence, 2006 の最初の頁、Gabrielle Ferrière, Jean Cavaillès. Un philosophe dans la guerre 1903-1944, Le Félin, 2003 からカヴァイエスの一九三〇年のドイツ滞在についての章、先週木曜日に日本から届いた岩波文庫八月の新刊『万葉集(四)』の中の巻十四の東歌と巻十五の遣新羅使一行の歌群、中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌群、同じく岩波文庫同月新刊の『大江健三郎自選短篇集』の中から後期短編の一つ「ベラックヮの十年」とこの自選集のために大江自身が書いたあとがき「生きることの習慣」(ハビット・オブ・ビーイングとルビが振られているが、その理由はあとがきの終わりに記されている)など。これらのあてどない散策の前に、Michael Lucken の Les Japonais et la guerre のそこだけ読み残してあった結論を読み終える。論文 « Émergence » と Ravaisson, Essai sur la « Métaphysique » d’Aristote も読み続ける。