この記事は、シンポジウム初日の発表後の夕食会を終えた後に CEEJA に戻り、その宿泊施設の自室で書いている。
今朝は七時過ぎに自宅を出る。九時開会だったが、コルマール駅での待ち合わせの都合上、同じく同駅で待ち合わせの参加者たちと十五分ほど遅れて到着。開会の辞の途中であった。
その後は発表が一日続く。それぞれに興味深い発表であった。私の発表は今日の最後。いい加減聴く方も疲れているだろうし、遠路遥々日本からいらっしゃっている参加者の方々にしてみれば、到着翌日のシンポジウム初日の最後に小難しい哲学の話を聞かされるのは苦行以外の何ものでもないであろう。
今回に限らず、最後に発表することになると、すでにプログラムの時間が押していることが多く、今日も予定より三十分遅れており、集会後のプログラムに支障をきたさないように自分の発表を終わらせることを第一優先にせざるを得ず、用意してきた原稿をかなり端折り、原稿通りに話すかわりに、かなりその場でまとめて急ぎ足で話すことになった。それでも約一時間かかってしまったが、その後の質疑応答では、貴重な質問もいただき、私自身としてはそれなりにやった甲斐のある発表ではあった。
とはいえ、発表を終えて思ったことは、私が目指しているのはいわゆる歴史的研究ではなく、テキストの読解を通じて私自身の哲学的スタンスを示すことにあるので、どうもそういうのはいわゆる日本学研究の枠組みでは馴染みにくいなあと、これが初めてのことではないが、今回もまた、感じさせられる場の空気ではあった。
自分の発表のできを棚上げし、今回参加する機会を与えらたことへの感謝を敢えて脇に除けて言えば、もう少し議論を深めうる場所で発表したいものだというのが偽らざる感想である。少なくともそれに値する問題提起ではあると思うのだが、それは独りよがりというものなのかもしれない。
それはさておき、このシンポジウムの発表は後日に出版されるので、今日の発表原稿にはできるだけ手を入れて、少しでもましなものにしたい。