内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私撰万葉秀歌(11)「秋の月夜は照らせども」― 遠ざかりゆくひと

2014-10-04 17:28:12 | 詩歌逍遥

去年見てし秋の月夜は照らせども相見し妹はいや年離る(巻二挽歌・二一一)

 柿本人麻呂「泣血哀慟歌」の中の一首。妻の死を嘆き悲しんで詠んだ二首の長歌とそのそれぞれに併せた短歌二首の最期から二番目の歌。「泣血」とは、「血の涙を流すこと、あるいは血が音もなく流れるように声もなく涙を流すこと」(岩波文庫新版『万葉集(一)』)。
 月が美しく照らせば照らすほど、それを去年は一緒に見た最愛の妻が今はもういないことが、そしてもう二度と帰っては来ず、これからはただ遠ざかりゆくばかりであることが心を刺す。
 二つの長歌に詠われた、亡き妻を求めてなすすべもなく彷徨う姿は深く胸を打つ。第一の長歌では、妻がよく出かけていた場所に行き、道行く人を見ても、ただ一人も妻に似ている人が通らないので、もうどうしてよいかもわからず、妻の名前を呼びつつ、袖を振り続ける。第二の長歌では、あなたの妻はあの山の中にいると人が言う言葉に縋りつくような思いで、その山への難渋の道を踏み分けて来たものの、妻のほのかな影さえ見えるはずもなく、この世にもはや妻はいないのだということを痛切に思い知らされるだけ。
 「泣血哀慟歌」を構成する全首が、最愛の人との死別の悲しみを詠って、それに具体的かつ普遍的な形象を与えた絶唱となっている。