内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

言葉の壁を超えての言霊の働き

2014-10-01 19:11:26 | 講義の余白から

 今日の中世日本文学史の授業は、先週時間切れで説明できなかった二つの和歌の説明から入る。どちらも『新古今和歌集』からで、よくその歌風の代表歌として挙げられる歌である。

志賀の浦や遠ざかり行く波間より凍りて出づる有明の月(巻六・冬・藤原家隆)

 本歌取りの一首で、本歌「さ夜ふくるままに汀や凍るらん遠ざかりゆく志賀の浦波」(後拾遺・冬)では、遠ざかりゆく波の音を聴いて、湖面が汀から次第に沖に向かって凍ってゆくの覚知するという鋭敏な聴覚性が表現された一首だが、家隆の歌では、それが視覚的把握に転換され、さらにそこに冷え冷えとした月光を「凍りて出づる有明の月」という玲瓏鮮烈な表現によって配す。
 もう一首は、『百人一首』の中でも傑作の一首とされる、あまりにも有名な歌。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする(巻十一・恋一)

 秘められた恋の古今無双の絶唱。作者式子内親王は賀茂の斎院として神に奉仕したが病を得て退下し、生涯独身で薄幸のまま亡くなったとされる、後白河院の第三皇女。自分の命に絶えてしまえと叫ぶ激しさ。それほどまでに抑えかねる思慕の情は誰に向けてのことなのかという詮索が古来行われてきた。内親王家の家司であった定家は、しばしばその邸に参入し、内親王の病状の変化に一喜一憂する。そこから定家と内親王との間に恋愛関係があったとする伝説も生まれ、謡曲「定家」により広く知られる。
 そして、今日の本題『百人一首』の説明に入る。まず、成立をめぐる経緯と最終的な編纂者に関して諸説あることをさっと説明する。そして、歌がるたとしての江戸時代初期以降の民間への普及の背景的要因に言及し、現在でも各地で盛んに新春かるた大会が催されていることを Youtube にアップされているヴィデオなど見せながら説明し、『百人一首』がどれだけ日本人の生活に浸透しているかをさまざまなサイトを紹介しながら理解させる。
 ここまでは学生たちも面白がって聴いていたのだが、今日はその後がいけなかった。『百人一首』から十数首選んで、一首一首について説明と鑑賞を手短にしていったのだが、ここが冗長だった。明らかに学生たちの集中力が切れてしまった。
 実朝の『百人一首』の歌を紹介したのをきっかけに、『金槐和歌集』の説明に少し入ったが、学生たちの一度切れた集中力を回復させるには至らなかった。ただ、実朝の次の二首には、さすがに何か感じるものがあったようではあった(もちろん全員ではないが)。

大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも

出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな

 この孤独な詩魂の痛切極まりない二首を読んで、何も感じないということのほうが難しいだろうとは思う。言葉の壁を超えての言霊の働きを感じないではいられない。