内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

手にとらば消えん ― 秋時雨の夕刻に慟哭の一句を読む 桃青句鑑賞(5)

2014-11-07 17:43:51 | 詩歌逍遥

 暮れかけている窓外を眺めながらこの記事を書いている。午前中は晴れ間も見えて、大学への行き帰りに乗る路面電車がその間近を通過する天文観測所の庭園の黄や紅に色づいた種々の落葉樹が空の青を背景に美しく際立つ。しかし、午後から天気は下り坂。先ほどいつものプールで泳いでいたら、雨が降り始める。水面を叩く雨音が次第に激しくなる中、泳ぎ続ける。帰宅して、机に向かうと、宵闇に沈もうとしている灰色の空を背景に、枝は風に揺れながら、葉は雨だれに打たれて小刻みに震える冬青が窓越しに見える。気温もここ数日下がり始めた。まだ底冷えのする寒さではないが、冬が近づいている。
 昨日まで四日連続で芭蕉の発句を鑑賞してきた。最初の一句を別として、他の三句は『野ざらし紀行』から取った。今日もまた同紀行から一句引き、この連続鑑賞もひとまず終わりにする。
 『野ざらし紀行』の旅に出てから約一月後、芭蕉は故郷の伊賀上野に四、五日滞在する。前年逝去した母の霊を弔うためであった。九年ぶりの帰郷である。芭蕉を迎えたのは兄松尾半左衛門。鬢に白いものが目立つようになった。ただ「命ありて」(互いにこれまでよくまあ無事だったなあ)とのみ言うと、兄は守り袋から「母の白髪拝めよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやや老いたり」(おまえも玉手箱を開けた後の浦島太郎みたいに眉に白いものが混じるようになったなあ)と、形見の白髪を弟の前にそっと差し出す。無言で互いにしばらく泣く。

手にとらば消えん涙ぞ熱き秋の霜

 遺髪を手にとってみれば、その軽さがいきなり胸を突き刺す。涙が止まらない。その涙の熱さで亡母の白髪は秋の霜のように今にも消えてしまいそうな儚さ。上五が八音の字余り、そこに芭蕉の慟哭の激しさが見える。
 その時、幼少期からの母親とのあれこれのやりとりの想い出が芭蕉の脳裏を駆けめぐらなかったとは考えられない。九年前の前回の帰省時、芭蕉は三十二歳、江戸においてすでに知名の俳諧師であった。あるいはいささか得意気に江戸での宗匠としての活躍を母や兄に語ったでもあろうか。再び江戸に戻るとき、別れ際、母は息子にどんな言葉を掛け、息子はそれにどう答えたであろうか。これが最後の別れになるとは二人とも思ってもみなかったことだろう。
 『野ざらし紀行』が芭蕉にとって真正の俳諧道へと踏み出す最初の旅であるためには、母の霊を弔うための故郷滞在は必然の道程であったことであろう。前人未到の俳諧道建立に精進しようとしている詩魂の終わりなき旅はここから始まったと言えるのかもしれない。