内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

離接の時あるいは形而上学的瞬間 ― 根源的受容性への〈開け〉

2016-01-12 10:48:41 | 随想

 職責上避けがたい仕事によって一日の大半を心身ともに拘束されればされるほど、その長い拘束時間に対して、持続の質において截然と異なり、屹然と対抗し、さらにはそれを凌駕し、ついには放下し、そこから離脱する瞬間を、少なくとも日に一度はもつこと。その瞬間において、慣性に支配されている日常的時間から己を切り離すこと。積み重ねによって何かを得ようとするのではなく、水平的連続性の内に無量に包蔵された垂直的瞬間に注意を集中すること。
 そのためにこそ私は毎日読みかつ書いている。たとえ身辺雑記であっても、それは自分の日常そのものが記録されるに値するなどと考えてのことでは毛頭なく、書くことそのことが、日常に接しつつそこから離れること、この意味において、「離接」の実践そのものなのである。たとえ愉しみための読書であっても、読むことそのことのうちで、時に魂は優に千年を遊行し、〈今〉〈ここ〉と、身体において、離接する。
 その離接の瞬間は、恍惚でも忘我でもなく、解脱でも救済でもない。端的に、根源的受容性への〈開け〉である。