今日は、ちょっとだけ、ほとんどの人にとって、もしかしたら誰にとっても、何のことだかわけのわからないであろう話をする。
こう書き出せば、いったいそんなことを書いて何になるのか、時間の無駄ではないか、他にすることはないのか、と自問する気持ちがすぐに起こってくるが、それでも、自分の気持ちを少しでも整理できればと思って、そんな無益な話をする。
自分の将来あるいは人生の行く末について、漠たる不安を感ずるということは、少なからぬ人たちが、少なくとも一度は、人生のどこかで経験することだろう。はっきりこれと特定できるような原因理由は特にないのに、何となく落ち着かない、これからどうなるのだろうとか、どうしてこうなのだろうとか、思い悩み、勉強や仕事が手につかない、集中して考えることができない、などという状態に陥ることは、誰の身にも起こりうることだろう。
そういう不安は、普通は、思春期から青年期にかけて、いわば通過儀礼として経験することだろう。ところが、それが壮年期に、あるいは人生の黄昏時になって、抑えがたく起こってくることもある。この場合、それは大人になるための通過点だと言って済ませることはできない。その点、問題はもっと深刻だ。
確かに、今、私は、大変落ち着かない気分である。その原因は、しかし、はっきりわかっているし、それはなるようにしかならないことであるから、できることをした上は、じたばたしても仕方がない、と腹を括らざるを得ない。その他にも気がかりはいくつかあるが、仮にそれらがどれひとつうまく行かなかったとしても、結局大した問題にはならないということもわかっている。だから、それらのことが漠たる不安を私に引き起こしているのではない。
非常に抽象的な言い方にならざるを得ないのだが、今の気分を叙述すれば、以下のようになろうか。
無限の持続あるいは連鎖とか、無限の広がりとか、無窮の動性とか、要するに無限なるものをそれ自体として肯定することには何の根拠もなく、むしろ無限は恐れ慄くべきものでしかない。そうかといって、日本の古典文学伝来の感性に動かされ、この世の無常を儚むというのでもない。無限と永遠とが垂直に交わる交点を見失い、果てしもない大海のいづことも知れぬ処に漂う櫂なき小舟の如き心細さに苛まれている、とでも言えばよいであろうか。
こんなことを書きつけても、何の解決にもならず、むしろ情けなくなるばかりで、いい年をして恥ずかしいことだと思う。自分の言葉に酔っているに過ぎないと憫笑されても仕方がない。ここまで書いてきたことを全部消去してしまいたいとも思う。後日、もし読み返す機会があれば、赤面せずに読み返すことはできないであろう。
にもかかわらず、今現在の精神の気象状態の記録として、この文章をそのまま残しておく。