『大江千里集』百二十四首の掉尾の一首。「詠懐」の題をもつ。
ほととぎすは、「めぐりあふ五月を待ち切れずにまだ春の名殘ただよふ初夏に鳴き出した」(一二七頁)。その初音を聞いて、自分がとりとめもなく春を過ごしてしまったことに気づく。しかし、そんなふうに春をうかうかと過ごしてしまったのは私ばかりでなく、ほととぎすもまたそうだったのではないか。
この歌の面白さは下句の自分自身の思ひが上句のほととぎすにさかのぼりひびきあふところにあらう。ほととぎすもやはり春を夢の間にとりとめもなく過し、めぐりあふ五月を待ち切れずに春の名殘ただよふ初夏に鳴き出したといふ感情移入轉身のそこはかとないあはれ(同頁)。
下句と上句との間には循環があり、ほととぎすと私との間に転生が繰り返される。いずれも、迂闊に時を過ごしてしまったかと思えば、季節の到来を待たずに生き急ごうとする。春から初夏へと、これとして確然とした区切りもなく、ただ淡淡しく季節は過ぎていく。人生もまた、茫々と輪郭も定かならざるままに過ぎてく。美しい調べの中に思い出の中の春霞のごとくにそこはかとなく無常感が漂う。
虚無を生きることと美を希求することとが一つになるとき、そこに歌が生まれる。