内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「はかなし」攷(八)― 儚き夢におとる現

2016-01-20 05:35:56 | 読游摘録

あひ見てもかひなかりけりむばたまのはかなき夢におとるうつつは

 藤原興風(生没年不詳、醍醐天皇期の人、延喜十四年(九一四)、下総権大掾正六位上。三十六歌仙の一人)の一首。家集『興風集』に見える。『新古今』巻十三恋歌三にも入撰。興風の歌の初出は古今集(十七首入撰)。『新古今』には上掲歌も含めて四首撰ばれている。興風は、歌ばかりでなく、管弦、殊に琴の名手であったという。
 上掲歌は、『王朝百首』に掲げられている通りに第三句を「むばたまの」としたが、『新古今』では「うばたまの」となっている。いずれも「ぬばたまの」からの轉で、「黒」「闇」「夢」「夜」にかかる枕詞。
 「逢ひ見る」は、実際の逢瀬、契りを結ぶの意。実際に逢って見ても、それに見合った確かな現実感が得られるわけではないことに気づかされるだけ。そんな男女の逢瀬の現実は、儚い夢にさえ劣る。
 「興風は儚い夢よりも現實の方がさらに儚いといひ、そして夢を本然の闇に引戻し、未必の逢ひの幻滅を「かひなかりけり」と嗟嘆するに止めてゐる」(『王朝百首』二七一頁)。上下句の倒置は、「儚いと知りながらそれでも逢はずにはゐられぬたゆたひ」を感じさせる(同頁)。
 興風が生きた時代からおよそ百年後、和泉式部は、『和泉式部日記』の冒頭で、「夢よりものはかなき世の中」と嘆ずることになる。この世の中もまた、男女の間のこと。
 夢現のあわいを儚しと観じつつ揺蕩うように生きることで自足もできず、夢現の区別に拠らない確実性を求道するでもなく、夢現の二元的対立を止揚する思考の冒険に乗り出すでもなく、儚い夢よりも儚い現と嘆きつつ、その現への執着を断ち切れるわけでもない。王朝期の〈はかなし〉の世界とは、畢竟その境域を超脱するものではない。
 〈はかなし〉感が無常の経験へと転じ、そこからさらに無常観へと思想的に深化していくのを見るためには、中世を待たなくてはならない。王朝的な〈はかなし〉の感性から中世的な〈無常〉の観想への転換点に立つのが〈實朝〉である。