内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「はかなし」攷(七)― 月下、王朝貴種のダンディズム

2016-01-19 03:36:09 | 読游摘録

書斎窓前雪景色夜夜に出づと見しかど儚くて入りにし月といひてやみなむ

 『元良親王御集』中の一首。同集は後世の他撰。その冒頭には、親王の人となりについて次のような記述が見える。

陽成院の一宮元良のみこ、いみじき色好みにおはしければ、世にある女のよしと聞ゆるには、逢ふにも逢はぬにも、文やり歌よみつつやりたまふ。

 この言葉通り、御集に収められた百七十首ほどの歌は、そのほとんどが後宮の女性たちとの「華やかなかつ深刻な戀の贈答歌」である。眉目秀麗、音吐朗々、堂々たる体軀の風流貴公子だったようである。
 上掲歌の詞書には、「つきのあかき夜おはしたるに、いでてものなどきこえて、とくいりにければ、みや」とあり、どのような場面で詠まれたかがわかる。明月下、元良親王は、ある女を訪ねた。その女は家の軒端までは出て来て宮と一言二言言葉を交わしたが、またすぐ家の中に引き返してしまった。歌の意は、毎夜見ることのできる月ではあるが、僅かに垣間見ただけで隠れてしまった月、とだけ言って、今夜あなたに逢うのはあきらめて帰りましょう、とでもなろうか。
 「聲の主はちらと見えただけでたちまち局の中へ入つてしまつたといふ趣を前提としてゐる。恐らく窈窕たる佳人であらう。その見ぬ面影を短夜の月光に託して、仄かな戀の歌としている」(塚本邦雄『王朝百首』、講談社文芸文庫、二五〇頁)。
 逢瀬とも言えぬ束の間の邂逅の儚さを月に託して歌に詠み、さらりと立ち去る貴公子の王朝ダンディズムが月下に光る。