来月上旬の法政大学哲学科学部生たちとの合同ゼミに向けて、先々週の後期第一週目から、修士の学生たちに毎週プレゼンテーションの特訓をしている。前期は、共通課題テキストである丸山眞男『日本の思想』の読解と翻訳のためにほぼ労力を使い果たしてしまい自分の頭で考える余裕がなかった彼らであったが、理解できたところも理解できなかったところも合わせて、自分で論じたいように論じてごらんと昨年末に課題を出しておいたら、皆それぞれになかなか面白い内容の発表を準備してきてくれた。
一年生の三人には、第一章「日本の思想」の中から、「無構造の「伝統」」「國體」「無責任の体系」という三つのキーワードを与えて、それぞれについて批判的に検討するように求めた。一人飛び抜けて日本語がよくできる中国人留学生は、大変な勉強家でもあり、「責任」という概念について、中国でもその訳がよく読まれているというハンナ・アーレントを引用したりして、なかなか立派なプレゼンテーションを作成してきた。「集団的責任」「戦争責任」についての問題提起の仕方も鋭く、合同ゼミでは、きっと面白い議論になることだろう。他の二人の一年生は、日本語がまだおぼつかず、彼女たちのテキストは私の朱入れで原形をとどめないほどに改変されたが、それぞれに問題提起はちゃんとできている。この二人は、日本語で議論することはまず無理だが、パワーポイントを使った発表はきちんと仕上げてくれることだろう。
二年生の三人には、第四章「「である」ことと「する」こと」から、三節、それぞれ自分たちが訳を担当した箇所を与え、それを出発点として自ら問題提起し、自由に論ずるよう求めた。三人とも一年生に比べれば、一年間の日本留学経験があるだけに、日本語能力も高いから、問題を自分の関心領域に引きつけて、自分なりの表現で、「自己の可変性」「余暇の意味」「主体概念」について、それぞれに論じており、日本人学生たちも興味を持つであろう仕方で、ちょっと挑発的な問題を提起してきた。望むところである。彼らなら、日本人学生と日本語で論じることもできるだろう。
その中でも、丸山における「主体」概念について仏語の力作レポートを昨年末に提出してくれた、昨年度一年間京大に留学していた男子学生の発表原稿は読み応えがあった。前期に私の演習で一緒に読んだ「超国家主義の論理と心理」からも引用し、自分で『日本政治思想史研究』の要点を押さえ、さらには丸山が最初英語で発表した論文「個人析出のさまざまなパターン」を援用するなどして、近現代日本社会における「主体」の問題に果敢に切り込んでいる。
明日の演習では、その「個人析出のさまざまなパターン」の日本語訳を全員で読む。