源實朝『金槐和歌集』中の一首。『王朝百首』は、『百人一首』と違って、百人の歌人それぞれから一首ずつではなく、塚本邦雄が「かねてからひそかに王朝六歌仙と呼んでゐる」業平、貫之、定家、良經、式子内親王、實朝からはそれぞれ二首ずつ採っている。
實朝の撰歌二首にはいずれも〈はかなし〉が含まれ、上掲歌では結句に「儚さ」、三日後の記事に掲げる予定のもう一首では初句に「儚くて」と置かれている。前者が秋の歌、後者が冬の歌。前者が夕暮れから月夜への移り行きを、後者が旧年に別れを告げる最後の夜明けへと向かう時を詠んでいる。偶然の選択とは考えにくい。塚本は、この両首を擇ぶことによって、實朝の詩的世界の基底的感情としての〈はかなし〉を、時の巡り、季節の巡りととともに提示しようとしたのではなかったか。
『金槐和歌集』には、上掲歌の詞書に、「庭の萩わづかに残れるを、月さし出でてのちに見るに、散りたるにや、花の見えざりしかば」とある。新潮古典集成版の現代語訳では、「夕暮れまで咲いていた萩の花が、月が出てから見るともう散っていた、そのはかない命よ」となっているが、次の二点において、私はその解釈に異を唱えたい。
第一に、この歌が詠っているのは、夕暮れまで咲いていた花が月下散っていたのを見たということではなくて、夕暮れまではその最後の微光の中にさえ確かに在った萩の花が、月明かりの中、無くなっているという端的な事実であると私は読む。
第二に、この歌の主題は、花の命の儚さではなく、萩の花のという自然の中の具体的な一個体の顕現と消失において覚知された一切の有限な存在の儚さであると私は考える。
この解釈は、次の論拠によって支持されると思われる。
詞書で「散りたるにや」と疑問形になっていることからもわかるように、實朝は、散るという花の消失の原因によりも、むしろ月下の花の消失そのものに心動かされている。この心の動きは、「咲いている」と「散ってしまった」との自然の連続する二過程の対比によってではなく、「ありつる」と「なき」、つまり存在と無との存在論的対比として歌に表現されている。
新潮古典集成版の同歌の頭注は、この歌に本歌らしいものはないとしながら、第五句は『万葉集』巻十二の作者未詳歌「愛しと思ふ我妹を夢に見て起きて探るになきがさぶしさ」(二九一四)に近似するとしている。しかし、これも私にはまったく的はずれな指摘だと思われる。なぜなら、「さぶしさ」と「はかなさ」とはまったく異なった経験に関わるからである。前者は、居るべき人がそこに居ない不在によって引き起こされ、その人の現前によって解消され得る限定的・相対的な感情であるのに対して、後者は、存在そのものの頼りなさの実存的経験の表現であり、それを一度経験してしまえば、もはやいかなる感情によってもまぎらわされ得ない基底的な存在経験に関わっているのである。
このように読んではじめて、上掲歌は、實朝の「魂の聲」として私たちの心に深く響く。
塚本邦雄の同歌の鑑賞文から二箇所引用する(二二一頁)。
「なきが儚さ」。この虚無の呟きこそ日常の死を生きねばならなかった彼の魂の聲であらう。また實朝の名を消してもこの一首の冷え冷えとした不吉なひびきは人の心を刺す。
彼が観たものは現實の彼方の見てはならぬもの、禁忌、死の國ではあるまいか。