昨日、待ち合わせの場所に早く着いたので、目の前の本屋の中を少しぶらついた。文庫本の棚を眺めていて、講談社文芸文庫が並ぶ棚の前に来たとき、歌人にして稀代のアンソロジストである塚本邦雄の本が数冊並んでいるのに気づいた。同氏の『清唱千首』(冨山房百科文庫)は、長年の愛読書の一冊である。並んでいたのは、『王朝百首』『秀吟百趣』『珠玉百歌仙』『定家百首』『西行百首』『百句燦燦』。どれもなんと魅力的なアンソロジーであることだろう。
全部ほしいと思ったが、今回は、前三著のみ購入した。一流の鑑識眼によって選りすぐられた詩歌を、それ自体が散文詩であるかのような精妙な評釈とともに読めるのは、贅沢な楽しみである。
塚本邦雄版「百人一首」である『王朝百首』の「はじめに」の最後から二番目の段落中には、私撰詩歌集を編む意義について次のように述べられている。
現代人には不當に無緣の狀態で放置されてゐた傳統文學の血脈は、この時春の潮のやうにいきいきと私たちの魂に蘇つてくる。一首のうつくしい歌はかうして次元を隔てた人と人との交感のなかだちとなり、未來にむかつて生き續けようとするのだ。
そのような秀歌を途方もなく膨大な数の和歌の中から撰び抜き、詩の花筺として私たちに届けてくれる人、それがアンソロジストである。