内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

残り少ない時間

2017-04-05 23:59:59 | 雑感

 昨年一月からのことであるから、もう一年数ヶ月前からになるが、Harald Weinrich の Le temps compté(Éditions Jérôme Millon, coll. « Nomina », 2009)という本のことがずっと気になっている。ちゃんと腰を据えて読みたいと思いながら、今だに読めないでいる。この本は2005年刊行のドイツ語原本 Knappe Zeit の仏訳なのであるが、仏語タイトルを最初に目にしたとき、中身をまだまったく知らないのに、そのタイトルに強く引きつけられた。
 私自身が「数える」という意味の動詞 compter の受動態 compté の使い方で最初に印象づけられたのは、確か二十年前に娘を公立幼稚園に入園させるために登録手続きに役所に出向いた際に、前後の経緯は忘れたけれど、担当者から « Les places sont comptées » と言われたときに遡る。「もう空きは残り少ないですよ」というほどの意味である。ああ、こういう風に使うんだと、その時のことが忘れられない。辞書を見れば、« Ses jours sont comptés » という用例がよく挙げられている。「余命幾許もない」という意味である。« Les heures sont comptées » と言えば、「残り時間はもうあまりない」という意味になる。
 上掲の本のタイトルは、だから、「残り少ない時間」ということになるが、それは何か特別な場合を指しているのではなく、そもそも人間が生きられる時間は限られていること、その有限の時間のことを指している。その最初から残り少ない人生の時間を人間はどう考え、どう受け止め、どう生きてきたか。本書はこれらの問いをめぐる思索を古代から現代までの哲学・文学作品の中に博捜していて、とても興味深い内容になっている。
 ところが、なかなか読む時間が作れないでいる。「残り時間は少ない」のに。