修士一年の演習で読んできた中井正一の『美学入門』第四章「生きていることと芸術」の中の「芸術とその媒介」と題された節に、フランスの政治家・平和主義者で作家ロマン・ロランの親友だったジャン・ジョレス(1859-1914)の『感覚世界の現実について』(De la réalité du monde sensible, 1891)からの長い引用がある。
中井はまったく出典を示していないのだが、引用されている邦訳に頻繁に出てくる「大地」という語がフランス語の « la terre » に対応することは間違いないので、それを手掛かりにネットでさまざまな検索をかけたところ、Wikisource であっさりとテキストを特定することができた。つくづく便利な世の中になったものだと思う。引用は原典の第五章「感覚と形」(« La sensation et la forme »)からである。
ジャン・ジョレスからのこの引用は『美学入門』の様々な引用の中でも目立って長く、それだけ中井も深く心を動かされるところがあったということだろう。私もその引用を読みながら、自然に対してこのように感応できる感性をもった政治家なら親しみが持てるし、信頼を寄せることができるよなぁ、と、ジョレスが生前絶大な大衆的人気を誇る政治家・平和主義者だったことに得心がいった次第である。
まず、『美学入門』の中の引用全文(誰の邦訳なのかはわからなかった)、そしてネットで見つけた原文の当該箇所を掲げる。名文だと思う。
時々私たちは、大地を踏んでいると、その大地を踏んでいることが、大地そのもののように静かな深い喜びを感ずることがある。私はよく小道をよぎったり、野原をよぎって歩んでいると、自分が踏んでいるのが大いなる大地である、ということ、しかも私がその大地そのものであり、大地であるということを、愕然と気づく時があった。そして思わずしらず私は歩みをゆるめた。大地のこの大いなる表面を歩むのに、別にコセコセするにはおよばない。一足ごとに私は大地を感じており、大地をすっかり把握しているのだから。また私の魂は、いわば、最も奥の深いところへと探りすすんでいたのだから。だから私は、私の歩みをゆるめたのである。また私はよく溝の辺に臥して、日が沈んでいく時柔らかな深い深い青色の東方に向って、大地が大いなる旅をしつつあること、また一日の疲れと、日の沈んでしまった地平線の彼方に、彼女はめざましい飛躍をもって、静かな夜と、無限の地平に向って飛び去っていること、そして、大地が私をも、その地平線の彼方へ連れていってくれることを思ったのでした。私は、私の問いの中に、私の魂の中と同じように大地そのもののわななき、進んでいく大地の飛び去りゆくわななきを感じた。そして私は、私たちのまえにただ一つの皺しわも、ただ一つの襞ひだも、ただ一つのささやきもなしに開いている、寂しずかな寂かなこの青空に、不思議な和やかさを見いだした。おお、私たちの肉体と大地との、この友情は、私たちのまなざしや、星の輝く大空の中にさまよう、漠然とした友情よりもいかばかり深く、いかばかり強烈なものであろう。もし私たちがこの大地に結ばれていることを、こんなに深く感じなかったら、この星の散らばっている夜の美しさは、こんなにみごとな美しさとはならなかったであろう。(中井正一『美学入門』中公文庫、51-53頁)
Il y a des heures où nous éprouvons à fouler la terre une joie tranquille, et profonde comme la terre elle-même. Si nous l’enveloppions seulement du regard, elle ne serait pas à nous ; mais nous pesons sur elle et elle réagit sur nous ; mais nous pouvons nous coucher sur son sein et nous faire porter par elle, et sentir je ne sais quelles palpitations profondes qui répondent à celles de notre cœur. Que de fois, en cheminant dans les sentiers, à travers champs, je me suis dit tout à coup que c’était la terre que je foulais, que j’étais à elle et qu’elle était à moi ; et, sans y songer, je ralentissais le pas, parce que ce n’était point la peine de se hâter à sa surface, parce qu’à chaque pas je la sentais et je la possédais tout entière, et que mon âme, si je puis dire, marchait en profondeur. Que de fois aussi, couché au revers d’un fossé, tourné, au déclin du jour, vers l’Orient d’un bleu doux, je songeais tout à coup que la terre voyageait, que, fuyant la fatigue du jour et les horizons limités du soleil, elle allait d’un élan prodigieux vers la nuit sereine et les horizons illimités, et qu’elle m’y portait avec elle ; et je sentais dans ma chair aussi bien que dans mon âme, et dans la terre même comme dans ma chair, le frisson de cette course, et je trouvais une douceur étrange à ces espaces bleus qui s’ouvraient devant nous, sans un froissement, sans un pli, sans un murmure. Oh ! combien est plus profonde et plus poignante cette amitié de notre chair et de la terre, que l’amitié errante et vague de notre regard et du ciel constellé ! Et comme la nuit étoilée serait moins belle à nos yeux, si nous ne nous sentions pas en même temps liés à la terre.