「人生は短く、術(の道)は長い」という格言はだれでもどこかで聞いたことがあるだろう。通常、医学の祖とされる古代ギリシャのヒポクラテスにこの格言は帰されるが、人口に膾炙したのは、しかし、ヒポクラテス自身によるギリシャ語のアフォリズムそのままではない。ラテン語に訳されるときに、なぜか最初の二句が逆転され、« Ars longa, vita brevis »(アルス ロンガ、ウィータ ブレウィス、「学芸は長し、人生は短し」)となってしまった。それがさらに日本では、「芸術は長く、人生は短し」という、ヒポクラテスの格言とはまったく違う意味で流布することになってしまった。それにともない、当該のアフォリズムの冒頭の二句以外に注意が払われることもほとんどなくなってしまった。
もう一度、ヒポクラテスのアフォリズムの原文に立ち返ってみよう。
Ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ, ὁ δὲ καιρὸς ὀξὺς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερὴ, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή. Δεῖ δὲ οὐ μόνον ἑωυτὸν παρέχειν τὰ δέοντα ποιεῦντα, ἀλλὰ καὶ τὸν νοσέοντα, καὶ τοὺς παρεόντας, καὶ τὰ ἔξωθεν.
手元にある二つの仏訳のうちの一つは以下の通り。
La vie est courte, l’art est long, l’occasion fugitive, l’expérience trompeuse, le jugement difficile. Or il faut non seulement se montrer soi-même accomplissant son devoir, mais aussi faire que le malade, les assistants et les éléments extérieurs accomplissent le leur. (Aphorismes, in Hioppocrate, L’Art de la médecine, traduction et présentation par Jacques Jouanna et Caroline Maddelaine, GF Flammarion, 1999, p.210)
まず明らかなことは、ヒポクラテス自身のテキストではこれはあくまで医術の話だということである。参照した仏訳の校註を踏まえて、上掲のアフォリズムを私なりに意訳すれば以下のようになる。
人生は短いが、医学において学ぶべきことはとても多い。うっかり大切な学びの機会を逃してしまうこともある。経験だってあてにはならない。判断はいつだってむずかしいものだ。(医術を行う本人だけが)自分のやるべきことを果たすだけでは医術は完了しない。患者、患者を取り巻く人たちそれぞれが己のなすべきことをなし、環境がそれに相応しく整い、その他の諸条件が揃うようにしなければならない。
一言で言えば、ヒポクラテスのいう医療とは、医者と患者と患者を取り巻く人たちおよび周辺環境のアンサンブルなのである。医者一人が主役なのでも、患者が王様なのでもない。看護師はただの裏方ではない。患者の家族や身近な人たちは医療の「専門家たち」のパフォーマンスを客席で見守るだけの観客に過ぎないのではない。医療機材や医療がが行われる場所も含めて、それらすべてが医療というアンサンブルにとって不可欠な諸要素なのだ。それらすべてがうまく調和するときにしか「治癒」は成り立たない。
この意味で、医療は、科学技術よりも遙かに音楽藝術に近い、ということができるだろう。