今日の記事のタイトルは、わざと多義的にしてあります。そのココロを以下に説明させていただきます。
昨夜、というか、真夜中に、なんかすごーく変な夢を見ました。いや、変、というよりも、「これって、何かのお告げ?」と思わされるような、今まで見たことがない奇妙な夢でした。
細部はもう忘れてしまいましたけれど、古代から近代までの日本思想の精華のアンソロジーを編纂するという大役をいつのまにか仰せつかっていて、テキストの選択にえらく苦労するあまり、夢の中でうなされているという夢でした(夢の神様がいるならお願いしたい、たまには楽しい夢を送ってください!)。
まあ、現実にはこんな依頼が私に来ることは百パーセントありえません。ただ、フランス語圏の日本思想関係の若手研究者たちを総動員して近代日本哲学仏訳論文集を編纂するというかなり壮大な企画を練り始めていることは事実です。今月末にその話し合いもパリで始めます。昨年11月、パリ・ナンテール大学での日本哲学シンポジウムの折にこの企画をちらっと切り出したら、若手の生きのいい連中の何人かはすごく乗り気だったのです。彼らのためにもこの企画を実現したいと思ってはいます。
見た夢は、だから、しっかりこの企画をおやりなさい、というお告げなのだと解釈することにします。
それはそれでいいとして、この夢には、ぜんぜん嬉しくない「おまけ」が付いていました。アンソロジー編纂で四苦八苦している最中、数時間後に迫っている授業の準備をすっかり忘れていたことにはたと気がついたのです。しかも、それがなぜか英語の講読の授業で、何がテキストだったかも覚えていないのです。焦りまくって、通勤バス(現実には普段バスなど使わないのに)の中で必死に言い訳を考えている途中で目が覚めました。
恐れながら、夢の神様に申し上げたい。私、あなたに何かしました? どうしてこうも無益に疲れる夢をしつこくお送りつけるのですか。人間、大雑把にいって、人生の三分の一は眠っているわけです。眠りは人生にとってきわめて重要な部分を占めています。にもかかわらず、その部分を人間は自由にコントロールすることができません。そこにつけいって人の人生を弄ぶって、ちっともカミじゃないじゃん。