内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「軍事的再軍備は、単に政治的神話によって引き起こされた精神的再軍備の必然的な結果にすぎなかった」― エルンスト・カッシーラー『国家の神話』より

2020-02-14 14:29:43 | 読游摘録

 カッシーラー『国家の神話』(講談社学術文庫 2018年)のことは、文庫版出版年の5月29日の記事で一度取りあげた。
 仏訳は1993年にガリマール社から出版されているが、ここ何年と古本市場でしか入手できなかったし、かなり高値が付けられていた。それが同社の « tel » 叢書の一冊として昨日刊行された(13,90€)。これで今こそまさに精読されるべきこの不朽の名著が簡単に入手できるようになったのは喜ばしいことだ。前期に「近代日本の歴史と社会」の授業で政治における神話の機能について話したときに本書に言及し、ぜひ読むようにと奨めておいたのだが、来週の授業で再度推薦図書として言及するつもりだ。
 英語で書かれた原書自体が全体としてとても読みやすい文章だからということがまずあるが、仏訳も大変読みやすい文章だ。ところが、上掲の一昨年の記事の中で引用した二番目の箇所、第十八章「The Technique of the Modern Political Myths 現代の政治的神話の技術」の一節の訳に抜けている文が三つあることに気づいた。

Myth has always been described as the result of an unconscious activity and as a free product of imagination. But here we find myth made according to plan. The new political myths do not grow up freely; they are not wild fruits of an exuberant imagination. They are artificial things fabricated by very skillful and cunning artisans. Il has been reserved for the twentieth century, our own great technical age, to develop a new technique of myth. Henceforth myths can be manufactured in the same sense and according to the same methods as any other modern weapon—as machine guns or airplanes. That is a new thing—and a thing of crucial importance (Ernst Cassirer, The Myth of the State, New Haven, Yale University Press, 1946, p. 282).

神話は、つねに無意識的活動の結果、あるいは自由な想像力の所産として記述されてきた。しかし、ここでは計画に従って作り出された神話が見出される。この新しい政治的神話は、ひとりで生育したものでもないし、また豊かな想像力の野生の果実でもない。それは非常に老練で巧妙な技師によって作り出された人工品なのである。新しい神話の技術を発達させることは、二十世紀、つまり現代の巨大な技術の時代において初めてなされたのであった。爾来、神話は現代における他のいずれの武器―機関銃や飛行機―を作るのとも同じ意味で、また同じ方法で製作されうるのである。それは新しい事態、しかもきわめて重大な意味をもつ事実である(講談社学術文庫 宮田光雄訳 483頁)。

Le mythe a toujours été décrit comme le résultat d’une activité inconsciente ainsi que comme une libre production de l’imagination. On sait qu’il existe des artisans très habiles et très subtils capables de fabriquer des choses entièrement artificielles. Il appartient au XXe siècle, cette grande époque technique, d’avoir développé une nouvelle technique du mythe. Les mythes ont dorénavant été fabriqués de la même façon et selon les mêmes méthodes que n’importe quelle arme moderne — qu’il s’agisse de fusils ou d’avions. C’est un fait nouveau — et un fait crucial ! (op. cit., p. 381)

 ご覧のように、“But here we find myth made according to plan. The new political myths do not grow up freely; they are not wild fruits of an exuberant imagination” (「しかし、ここでは計画に従って作り出された神話が見出される。この新しい政治的神話は、ひとりで生育したものでもないし、また豊かな想像力の野生の果実でもない。」)の三文が仏訳では落ちている。これはもしかしたら依拠した版の違いに由るのかもしれない。仏訳は原書の1946年版に依拠しているが、宮田訳は1950年の第三版を底本としている。
 それにしても、二十世紀の作為性・計画性のある政治的神話と無意識的で想像力の自由な所産であった過去の神話一般という両者の決定的な違いを指摘しているこの三文の欠落は、“They are artificial things fabricated by very skillful and cunning artisans.”という文が第一文には直接しないだけに惜しまれるところである。
 それはともかく、同じ段落の後半に見られる一九三〇年代のドイツにおける政治的神話の機能についてのカッシーラーの指摘は鋭くかつ現代の私たちにとっても警鐘を鳴らすものである。宮田訳を引いておく。

政治の世界がドイツの再軍備と、それがもたらす国際上の様々な影響について多少憂慮し始めたのは、一九三三年のことであった。事実上、この再軍備は何年も前から始まっていたが、ほとんど気づかれずにきたのであった。実際の再軍備は、政治的神話の生起ととともに始まった。のちの軍事的な再軍備は単に事後従犯にすぎず、犯罪行為そのものは、ずっと以前の既成事実であった。つまり、軍事的再軍備は、単に政治的神話によって引き起こされた精神的再軍備の必然的な結果にすぎなかったのである。(483-483頁)