内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ゲーテ『ファウスト』ジェラール・ド・ネルヴァル訳から「陰翳」という言葉までの散歩道

2020-02-03 23:59:59 | 読游摘録

 今日から一週間ほど、最近読んだ本あるいは今読んでいる本などからのほんの僅かの摘録になります。いいなと思った一言や一節、あるいはこれから問題として考えていきたい気になる箇所などを引用し、それにひとこと添えるだけです。
 マックス・ミルナーの『見えるもの裏側』についてはこれまでにも何度か言及してきました。ゲーテを取りあげている箇所に『ファウスト』からの引用が出てきます。その引用はジェラール・ド・ネルヴァル訳で、この訳はゲーテ自身の御墨付だと言われており、今でもいろいろなところでよく引用されていますが、原文への忠実度という点からいうと、いろいろと問題があるようです。邦訳における森鴎外訳の位置づけにちょっと似ているかも知れません。
 ミルナーは、ネルヴァルが « macht es schön »(「美しくみせる」)を « la colore »(「彩る」)と訳していることに読者の注意を促しています。そして、ネルヴァルはゲーテの色彩論を知っていて敢えてこう訳したのだろう推測しています。ゲーテの色彩論は当時のフランス人にはほぼ無視されていたことを考えるとネルヴァルの慧眼を称賛すべきなのかも知れません。
 もう一つ面白いと思ったことは、小学館ロベール仏和大辞典には、colorer の他動詞の語義のなかに「陰翳を与える」とあったことです。代名動詞 se colorer には「陰翳を帯びる」とありました。例文としては、前者には « Son attitude est légèrement colorée de mépris. »(「彼の態度にはかすかに軽蔑の色があった.」) とあり、後者には « Son étonnement se colorait d'inquiétude. »(「彼の驚きには不安の色があった.」)とありました。いずれも「何かが微妙な仕方で混ざり込んでいる」といった感じでしょうか。このような例文を挙げて語義には「陰翳」という言葉を使うことによって、colorer という言葉のニュアンスをよく伝えているように思います。
 こんな風に言葉の連鎖を辿っていくと、思いもよらない発見に至ることもあります。今回の例がそれに相当するかどうかはまだわかりませんが、気に留めておこうと思っています。