内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

レジグナチオン(諦め)に深く浸されながら、前を向くには

2020-02-13 17:40:44 | 雑感

 昨年12月5日に始まった年金改革法案反対のストライキやデモ行進はさすがに沈静化してきているが、それと入れ替わるように、大学及び研究機関での労働環境の悪化とポストの不安定化を助長する法案を糾弾する一斉メールが最近連日のように大学関係のさまざまな組合から届くようになった。所属している学部でもその改革法案に反対する声明が採択されようとしている。
 正直なところ、それらのメールの長い文面にいちいち目を通している時間はないので、正確なところを把握しているか怪しいところもあると断った上での話であるが、専任ポストにかわる雇用年限付きポストの増加、年間教授時間数規定の廃止、研究費の削減等が主な争点のようである。要するに、大学の正規雇用の教育研究員(つまり主に教授と准教授)の立場が今後ますます危うくなっていくということである。それに応じて教育研究以外の雑用の負担は増大の一途を辿っている。
 利潤の追求を至上目的とする企業型の論理が大学内にも蔓延するようになり、生産性が高く社会的貢献度の高い花形分野以外の「生産性に乏しく無用な」分野では、近い将来のかなり現実性の高いシナリオとしてその悲惨な末路が視界に入ってきている。
 生涯官人として輝かしい要職を歴任した森鴎外大先生のお言葉をこのような文脈において引くのは大変気が引けるが、今の私の心持ちによく合っている言葉はやはり「レジグナチオン」(Resignation 諦め)である。もうどうにもならんと思う。私のような役立たずの大学教員はまさに「絶滅危惧種」であり、しかもいかなる自然保護団体の保護活動対象にも認定される見込みはまったくない。
 官憲に罵声を浴びせる元気どころか、負け惜しみをつぶやく気力さえ湧いてこない。ただ、いかにレジグナチオンに深く浸された日々であっても、授業の準備だけは手を抜かない。どれほど劣悪な環境であれ、教師であるかぎり、その本来の使命において最善を尽くすべきだという倫理観だけが今の私の心を辛うじて支えている。