今日は一日家に籠もって明日の授業の準備をしていた。ただ、ほぼ二〇分おきくらいに仕事のメールの処理を挟んでのことだったので、準備に集中できたとはとても言えない。明日の授業では森鴎外を取り上げることになっているが、そもそも二時間の授業一回だけで鴎外の人と作品について一通りの話をすること自体に無理があるので、準備をすればするほど、話すべきことと話せることとの間の落差が拡大し、それに煩悶させられることになってしまった。
漱石の主要作品がすべてフランス語に訳されているのに対して、仏訳されている鴎外の作品の数はかなり寂しい。二十年前に比べれば多少状況は改善されているけれど、史伝三部作『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』『北条霞亭』は未だ訳されていない。これらの大作の翻訳はまことに容易ならざる大事業であることはわかるし、仮に訳業成ったとしても、あまり売れそうにない。日本でも、短編の歴史小説群や『舞姫』以外はそれほど読まれているとも思えない。
明日の授業では、駆け足で鴎外の生涯・業績・主要作品を紹介したあと、仏訳のある歴史小説の中の二作品から、それぞれ一節ずつ原文を紹介する。紹介するのは『安井夫人』と『最後の一句』。その紹介の仕方は以下の通り。
まず、スクリーンに映し出した原文を私が朗読する。その際、学生たちには言葉の響きと文章のリズムに注意を集中させる。次に原文の下に仏訳を映し出し、それを目で追わせながら、もう一度原文を朗読する。こうすることで鴎外の彫琢された文章の味わいとその文章が換気するイメージをシンクロナイズさせることを試みる。これを段落ごとに繰り返す。
その結果として、学生たちが全文を読んでみようという気になってくれれば幸いである。