修士の二年生には、ここ数年、フランス語で彼らが書く修士論文から一つテーマを選ばせて、日本語で小論文を書かせていることは、過去に何度かこのブログで取り上げた。
最初は、それぞれの小論文から特に問題になる箇所のみ、教室で学生たち全員を前にして行っていた。だが、この方法だと一部の添削しか取り上げられないし、それらの添削箇所はすべての学生にとって必ずしも重要な箇所ではない。レベルの高い学生に合わせると、低い学生は置いてきぼりになってしまうし、低い方に合わせると高い学生は退屈してしまう。
学部でトップと底辺に開きがあるのは、おフランスの「だれでもいらっしゃい」大学入学制度からして仕方がないとして、修士の学生たちのレベルの開きも年々大きくなってきている。その開きは、絶望的とまでは言わないとしても、憂慮すべきレベルに達している。なぜこのような状況に立ち至ってしまったのか。
それには主に二つの理由がある。一つは、入学基準が甘くなっていることである。書類選考など、あってないに等しい。もう一つは、学士号だけでは就職がないから、特に勉強がしたいわけではないのに、とりあえず修士課程に入ってくる学生が増えていることである。
結果として、学部を芳しくない成績でぎりぎり卒業したような学生でも、つまり、本来修士に来るべきではない学力不十分な学生も、成績はそれほど悪くなくとも勉強する気が本当はあるわけではない学生も、いとも簡単に修士過程に登録できてしまう。その多くはいつの間にかいなくなってしまう。
こんなことでいいはずはない。教師陣としては、正直なところ、優秀でやる気のある学生だけを受け入れたい。しかし、それは現行制度上できないし、仮にそれができたとしても、入学者の数を減少させることにしかならないから、下手をすれば、修士課程の閉鎖に追い込まれてしまう。
それでも敢えて言おう。やる気のない者は直ちに去れ!