学部三年生の授業でも修士の演習でも、文章を書く練習は私が学生に課すもっとも重要な作業である。もちろん彼らのレベルに合わせてのことだが、日本語である程度まとまった文章をかなり頻繁に書かせる。
それは単に書く力をつけさせるためではない。書く力を鍛えることは、口頭表現能力も高める。その逆は成り立たない。かなり流暢に話す学生でも、いざ書かせると相当に間違った表現を使っており、もちろん本人はそのことに気づいていない。あるいは、間違いとまでは言えないにしても、書き言葉としては不適切な表現が少なくない。つまり、話せても書けない。話すようには書けないのである。
一文一文は単純だが全体として構成のしっかりした文章を、ほとんど辞書を使わずに書けるようなレベルに達すれば、自ずと話せるようにもなるし、口頭発表能力のその後の進歩も速い。それは構文の基礎が確実に身についているからである。
それだけではない。文章を読むときに、語彙・表現・構文により注意深くなる。単にそれらを理解するだけではなく、「道具」としてそれらを使えるようになりたいと思って読むからである。最初は、パクリでも模倣でも構わない。それを繰り返し、拡充していく過程で、それらが自分の表現手段として身についてくる。結果として、文章読解力も向上する。
もちろん、ただ書いただけでは進歩しない。誰かの添削を受けなくてはならない。それが私の仕事だ。その作業は、迅速かつ注意深く行う。直し過ぎてはいけない。書き手の個性を殺してしまうから。
その添削をどう活かすかで、その後の進歩に大きな開きが生まれる。伸びる学生は、すぐに次の課題のなかで私が添削として提案した表現を使ってみようと試みる。それをまた私が手直しする。この相互作用を重ねることで進歩する。
日本語の文章力を高めることは、自己の総合的な表現力を高めることに結果としてなる。