内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

家事と哲学とのゼッタイムジュンテキジコドウイツ

2020-11-29 20:26:44 | 哲学

 先週末と同様、土曜日に翌週の授業の準備を済ませ、今日日曜日は、十二月一日が締め切りの原稿執筆に集中しました。一歩も外出しませんでした。午後三時過ぎに原稿ほぼ完成。ホッとしました。明日一日もう一度推敲してから編集者の方に送信します。
 速筆、遅筆という言葉がございますね。私はどちらであろうかと自問しました。いつも締め切りぎりぎりならないと書き始められず、結果、やっとのことで締め切りに間に合わせるという点では、遅筆です。他方、実質的に執筆に充てている時間からいうと、速筆と言っていいかもしれません。例によって、四百字詰め原稿用紙を基礎単位とした計算になりますが、八時間で三十枚くらい書けます。もちろん内容にもよりますし、その時置かれている状況にもよりますが、いったん書き始めれば、速い方だと言ってもいいのかもしれません。
 ただし、一つの原稿を書くためにかけた総思考時間を考慮に入れると、遅筆どころか、「鈍筆」だと言わざるを得ません(こんな言葉はないのですが)。それも超がつくほどではないかと恐れます。例えば、健全なる良識と誰に恥じることもないだけの優れた知性をお持ちの方が一時間で解決できる問題に、私は丸一日、いや二三日かかることだってざらにあります。
 そんな時間がよくありますねぇ、なんだかんだ言って、やっぱり、大学の先生って、お暇なんですねぇ、と嫌味なことほざく御仁もいらっしゃるかもしれません(目の前にいたら、瞬殺していたでしょう)。言わせていただきますが、こんな私でもけっこう雑務があるのですよ。それでも考え続けるには、やはりそれなりの工夫というか、覚悟が必要です。どうするかというと、トイレでもお風呂でも、果ては寝ながらでも考えるのです。
 それだけではありません。いざ執筆を始めて、ちょっと筆が鈍る、考えが停滞する、ということは、やはりあります。そういうときはどうするかといいますと、やおら立ち上がり、机の前から離れ、掃除を始めるのです。
 今日の場合、数日前から気になっていた台所の換気扇の掃除を徹底的にいたしました(結果に満足)。しかし、それは掃除そのものが目的ではありませんでした。気分を切り替え、かつ思考に集中する時間を作り出すためなのです。一言にして言うならば、私にとってお掃除と哲学はゼッタイムジュンテキジコドウイツなのです。