自分の心に向き合い続けるのは、ときにしんどい。そうすること自体が心を蝕んでしまう。扉も窓もない部屋のような心の中で人は生きることはできない。考えることは、それが心的閉鎖空間を突き破るかぎりにおいて意味がある。だが、それだけのエネルギーが身心に充填されていないときはどうすればいいだろう。
そんなとき、私は詩歌に救いを求める。それは、和歌だったり、連歌だったり、俳諧だったり、近現代詩だったりする。救いを求める頻度からすると、万葉から新古今までの和歌が多い。数百年、いや千年を越えて心を遊行させたいのだ。
先月末に刊行された渡部泰明の『和歌史 なぜ千年を越えて続いたのか』(角川選書)は、千二百年以上も続いている和歌の持続力の不思議さを正面から問うた一書である。本書で取り上げられている古代から近世までの十数人の歌人のうち、額田王から定家まではそれなりに親しんできたが、それ以降の京極為兼と京極派、頓阿、正徹、三条西実隆、細川幽斎、後水尾院、香川景樹については、これまであまり関心もなかった。それだからこそ、本書のその部分に特に惹きつけられた。
十三世紀の終わり頃から十四世紀の半ばにかけて、一目でそれとわかる特異なスタイルの和歌を詠む一派が登場し、和歌史の上で燦然と輝く活躍を見せた。彼らは、この一派の指導者京極為兼の名を取って「京極派」と呼ばれた。この党派が主導して遺したのが『玉葉和歌集』『風雅和歌集』である。
本書の著者渡部泰明氏によれば、「為兼は「詞」との関係では「心」の自由を求めたが、それ以上に、「心」と自然や景物との関係性を大事にしたのであり、それによって、人間とこの世界との合一という理想を体現しようとした」。
露おもる小萩が末はなびきふして吹きかえす風に花ぞ色そふ(玉葉・秋・五〇一)
「露に靡いていた萩を、風が吹き返し、ぱあっと露が散ったその瞬間を捉える。宝石のような露のきらめきが、萩の花の美しい色合いを反射させる」(渡部泰明『和歌史』の注釈)。その瞬時の光景を今まさに目の当たりにするかのごとき清新さに心が震える。
塚本邦雄の『清唱千首』(冨山房百科文庫 1983年)にも選ばれている待春歌に今の自分の心を重ねる。
木の葉なき空しき枝に年暮れてまた芽ぐむべき春ぞ近づく(玉葉・冬・一〇二二)
「枝の空しさは、わが身の空しさ、初句はいかにも丁寧に過ぎるが、願ひをかけながら、近づく春も恃めぬような暗さを帯びるのも、上の句の強調によるのだ」(『清唱千首』二六六頁)。