今日の午後、修士一年の演習「近現代思想史」の筆記試験が行われた。筆記試験といっても、パソコン持ち込み可とし、答案はWORDで作成し送信させるという形式にした。手書きだと書くこと自体に時間がかかるから、その制約から学生たちを解放し、試験問題を考えることに集中し、書きたいだけ書かせるためである。使用言語は仏語を原則としたが、日本語でもいいかと事前に聞いてきた学生が一人いたので許可した。
まだ、答案を受け取っただけで読んではいないが、仏語で書いた学生の答案はA4版で4枚から6枚、日本語で書いた学生は1,200字あまりと、力作が揃った。
問題は、授業で読んだ九鬼周造の二つのテキストからの抜粋をまず注解し、それに基づいて自由に自分の考えを述べることを求めるものであった。一つ目のテキストは1937年1月に行われたラジオ講演「偶然と運命」の終わりの方でニーチェの『ツァラツストラ』に言及しつつ運命愛について語られている箇所、二つ目のテキストは1934年10月『理想』に掲載されたエッセイ「人生観」の中で「みずから」と「おのずから」との区別が問題になっている箇所である。この両者をうまく重ね合わせて論じることができているかどうかが評価の際のキーポイントの一つになる。
この二つのテキストを読んで、学生たちはニーチェあるいは/そして九鬼への強い共感あるいは反発を感じたようで、それが刺激となって、真剣に問題に取り組んでくれたようである。最長の答案を書いた学生は、パスカルの『パンセ』(授業で私が言及したからであろう)とニーチェの『ツァラツストラ』(授業で引用した GF-Flammarion 版)をパソコンの両脇に置いて答案に取り組んでいた。答案を提出した後、夜になって、答案に書き忘れたことを付け加えたいとメールを送ってきた学生もいた。
答案をすべて読み終えた後、総評をこのブログで述べたい。