1889年1月3日、イタリアのトリノのカルロ・アルベルト広場でニーチェは昏倒し、以前から狂気の兆候を示していたその精神は最終的に壊れた。以後、1900年8月25日にワイマールで亡くなるまで、ニーチェの精神は闇に沈んだままだった。
その日、昏倒する直前、その広場で馭者に激しく鞭打たれていた馬の首にニーチェは抱きつき、涙を流す。
真偽はもはや確かめようないこの出来事について、ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』の中にこう記している。
それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。(千野栄一訳)
そして、「私が好きなのはこのニーチェなのだ」という。この出来事を最初どの伝記で読んだのかもう覚えていないが、胸を突かれる思いをしたことは覚えている。そして、ドストエフスキーの『罪と罰』第一部第五章で詳しく描写される、夢のなかで幼少期に帰ったラスコーリニコフが見る光景を思い起こさずにはいられなかった。その夢のなかで、少年ラスコーリニコフは、惨たらしく鞭打たれる馬に涙を流す。
この符合は何を意味するのだろうか。ふと気になったので書き留めておく。