内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

メディア・リテラシー後期期末試験問題と答案についての総評 ―「私たち」とは誰のことか

2022-05-07 23:59:59 | 講義の余白から

 昨日がメディア・リテラシーの後期期末試験であった。いつも目の前の雑務に追われて後回しにしてしまいがちな答案採点を今回は迅速に行った。昨日と今日ですべて採点した。というと、さも数が多そうに聞こえるかもしれないが、たった二十枚であった。だから、一気に方を付けることができた。
 試験問題は以下の一問。それに対して答案用紙見開き二頁以内で答えよ、というのが条件。

Lisez d’abord les deux textes suivants lus en cours et un texte complémentaire sur la démocratie :

(1) 裁判員時代を迎えた今、「死刑の基準」とは何かという問いは、私たち一人ひとりに向けられたものである。これに対する私たちの意思、その結果が、厳罰化に拍車をかけることになるのか、それとも立ち止まって考えることになるのか、あるいは死刑廃止へと向かうのか。それはまだ、誰にも分からない。「死刑」という究極の刑に対して、私たちの正義と英知、そして人間性が、今まさに問われている。

堀川惠子『死刑の基準』(日本評論社 2009年 講談社文庫 2016年)

(2)アルゴリズムのメカニズムにより、人々は自分が欲する情報に優先的に接することになります。いわば、自分が気に入るような情報ばかりが各自に選択的に届くことになります。逆にいえば、自分が知りたくもなければ、接したいとも思わないような情報や意見は「ノイズ」に過ぎません。とはいえ、自分が賛成しない他者の意見にも耳を傾ける寛容の原理は、現代の自由民主主義の中核となる理念の一つです。閉鎖的な情報空間において、特定の考え方ばかりが増幅される「エコー・チェンバー」の時代において、民主主義は生き残れるのでしょうか。踏みとどまって考えるべき時期が到来しています。

宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代新書 2020年)

(3)民主主義が重んずる自由の中でも、とりわけ重要な意味を持つものは、言論の自由である。事実に基づかない判断ほど危険なものはないということは、日本人が最近の不幸な戦争中いやというほど経験したところである。ゆえに、新聞は事実を書き、ラジオは事実を伝える責任がある。国民は、これらの事実に基づいて、各自に良心的な判断を下し、その意見を自由に交換する。それによって、批判的にものごとを見る目が養われ、政治上の識見を高める訓練が与えられる。正確な事実についてかっぱつに議論をたたかわせ、多数決によって意見の帰一点を求め、経験を生かして判断のまちがいを正してゆく。

『民主主義』文部省 1948‐1949年(角川ソフィア文庫 2018年)

En vous référant explicitement aux trois textes ci-dessus, rédigez un article de revue afin d’ouvrir un débat public autour de la question de savoir comment on peut ou non défendre la « légitimité » de la peine de mort dans un pays démocratique comme le Japon, en invitant le lectorat à exprimer librement son avis à ce sujet.

 上掲の三つのテキストに明示的に言及しつつ、日本のような民主国家における死刑の「合法性」についての公開討論を雑誌読者に呼びかける記事を書け、という問題である。つまり、学生たち自身に当該の問題についての私見を述べさせることが目的ではない。この問題について公開討論を呼びかけ、読者に自由に意見を述べる場を提供することを提案する記事を書け、と求めているのである。
 このような記事を書くことは、メディアの役割についての反省をおのずと要請する。それに、ある雑誌の読者を対象としているということにも自覚的でなくてはならない。答案は仏語で書くのだが、想定される読者はフランス人であっても日本人であってもよい、と予め伝えておいた。ただ、その選択に応じて記事の内容は大きく異ならなくてはならない、ということは敢えて明示的には注意しなかった。
 大半の答案は学生たちが真剣にこの問題に取り組んでくれたことを示していたが、予想通り、誰を読者として想定しているのか、はっきりしない答案が多かった。「私たち nous」「あなたたち vous」と彼らが書くとき、誰のことなのか、曖昧なのだ。
 彼らにとって、死刑廃止かあるいは存置かという問題は、もはや「解決済み」の過去の問題、いや歴史の一部にすでになっていると言ってもよい。それに対して、日本国民はこの問題に今も向き合っている、あるいは、向き合っていなければならないはずである。だから、想定される読者がフランス人か日本人かで記事の内容は大きく異ならざるを得ないのである。
 この点について自覚的だった答案は数枚に過ぎなかった。ただ、公正な議論のためにメディアが果たすべき役割、民主主義そのものが抱える内的葛藤、市民の政治への参加と責任、政治と正義の対立、倫理と法律の不整合、人権の擁護という原則の脆弱性など、それぞれに重要な問題に気づくきっかけにはなったようである。