日曜日を週の始まりとすれば、今週の日曜日のことである。ボルドー大学日本学科修士二年の学生から修士後の博士論文指導の依頼メールが研究計画書と共に届いた。「近代の超克」論の展開を戦中から戦後にかけて辿り、それを東アジアの思想史という広い文脈の中に位置づけることをテーマとしている。まず、近代の超克論の第一期として西谷啓治の近代の超克論を当時の東アジアの思想史という広い文脈の中に位置づけること、そして、戦後の竹内好の近代の超克論を同論の第二期として捉え、さらにその後の中国における近代の超克論の展開を第三期として追うという構想である。その三期に亘る超克論の展開との対比として保田與重郎の思想も視野に入れたいとのことである。
どうして私に依頼してきたかというと、私の論文がいくつか引用されている研究計画書によれば、それらの論文で使われている比較思想史的方法に関心をもち、自分のテーマにも応用できると考えたからである。
大変嬉しい依頼だが、残念ながら指導教授にはなることはできない。しかし、共同指導者にならなれる可能性があると返事した。
共同指導者の規定は大学ごと或いは研究分野ごとに異なる。例えば、カーン大学では同大学内の教員しかなれない。それで私が共同指導者になることを断念せざるを得なかった学生が先月一人いた。ストラスブール大学は分野によって異なるようだが、日本学科に関しては過去に例がないので、できるのかどうかわからない。ただ、当該の学生が日本学科の博士課程に登録すればもちろん問題ない。公式の指導教授は別に立てて、私が実質的な指導教官になることができる。この可能性も伝えておいた。
その二日後の火曜日、今度はパリ大学の哲学部修士の学生から博士論文の共同指導の依頼が届いた。私がよく知っている若手研究者から私にコンタクトを取ることを勧められたとのことだった。こちらはすでにハイデガーの自己概念についての修士論文で昨年度修士号を取得し、今年度はアグレガシオンの準備に集中し、来年度パリ大学の博士課程に登録し、ハイデガーと田辺における自己概念の比較研究をテーマとしたいとのことだった。パリ大学での指導教授が他大学の教員を共同指導者として認めるならば、喜んで引き受けようと返事をした。
昨日水曜日午前中、昨年度でストラスブール大学哲学部を定年退官した名誉教授のお宅にお邪魔した。来月二十八日に前段落で言及した若手研究者を講演者としてストラスブール大学に招くのだが、講演後の公開討論の相手になってほしいというこちらの依頼をその名誉教授が引き受けてくださったので、その研究者の九鬼周造のモノグラフィーを手渡すのが訪問の目的だった。
教授が過去に指導した日本人学生の話や共通の知人のことなど雑談しているうちに私の研究の話になり、特に私の博士論文の内容に興味を示され、再来年度から始まる哲学部の新しいカリキュラムを現在作成中で自分もそれに関与しているのだが、日本の哲学についての講義をやってみる気はないかと尋ねられた。まったく予期していなかったことだが、「もしそれが実現するならこれほどうれしいことはありません」と即答した。実現するかどうかは別として、そのような提案が聞けただけでも私は嬉しかった。
というわけで、とても「哲学な」今週前半なのです。