内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

翻訳不可能語辞典

2022-10-20 23:59:59 | 読游摘録

 ある哲学的概念あるいは哲学の歴史の中で種々の解釈の対象となってきた概念について調べるとき、まず開くのが Vocabulaire européen des philosophies, Seuil/Le Robert, édition augmentée, 2019 である。この辞典には Dictionnaire des intraduisibles というサブタイトルが付いている。翻訳不可能語辞典という挑発的にも聞こえる企画だが、一流の執筆陣による内容がきわめて豊かな辞典で、2004年に初版が刊行された直後から評判になっていた。仕事机のすぐ右脇の本棚の机とほぼ同じ高さの棚にいつも並べてあり、文字通り座右の書だ。
 先日話題にしたミメーシスもカタルシスも項目として立てられており、前者には17頁も割かれている。後者は3頁ほどだが、それでもとても興味深い記述を読むことができる。
 アリストテレスの『詩学』でのカタルシスについてのあまりにも短い記述が互いに相容れない多様な解釈を古代から現代に至るまで産出し続けていることは諸家の指摘するところで、この辞書ももちろんそのことに言及している。この辞典の記述の中で特に私が興味を惹かれたのは、カタルシスがもっている「浄化」と「排出」という二重の意味が治療と喜び(快)とを結びつけ、そこから生まれてくる様々な解釈の中で、『詩学』がフランスにおける古典演劇論に及ぼした影響とそこから生まれた感情論(情念論)についての記述である。
 この感情論(情念論)は、『詩学』のカタルシスの解釈としては逸脱としか言えないが、演劇の教化的効果という文脈で諸感情(情念)についての新論として登場する。アリストテレスの『詩学』でカタルシスに言及される文脈では、感情一般が問題になっているのではなく、特に憐れみと怖れが、そして解釈によってはそれと同様な感情が問題になっている。しかも、悲劇によって観客にもたらされるのはそれらの感情の排出ではなく、浄化である。ところが、17世紀の古典演劇論では、感情そのものの排除による心の浄化が演劇の教化的効果として論じられている。そこには人間的感情すべてを堕落とみなすキリスト教的道徳観が背景としてある。一言で言えば、「感情の浄化」から「感情からの浄化」へと転じている。
 同辞書によると、コルネイユはアリストテレスの『詩学』のカタルシス論をこのような感情排出論と誤解してそれを批判しているという。しかし、それは、コルネイユの同時代に行われていたアリストテレスの誤った解釈を攻撃しているに過ぎない。それに対して、ギリシア語が読めたラシーヌは『詩学』のカタルシス論を感情の浄化論として正しく捉えていたという。
 短い記述だが、いろいろなことを考えさせてくれる。