内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

授業で引用するテキストを読んでいて気づくこと

2022-10-06 23:59:59 | 日本語について

 どの授業でもさまざまな日本語の著作から引用する。その引用をパワーポイントに取り込むとき、短い文章であればそのまま打ち込む。少し長い文章の場合は、まずWORDで入力してからコピー&ペーストする。これは打ち間違いがないかあらかじめ確認するためである。それでも実際には教室で学生たちにテキストを読ませる段になってはじめて打ち間違いに気づくこともある。数頁亘る長い引用の場合は何度も読み直して確認するのだが、それでも間違いを完全に防ぐことはできない。
 さらに長い文章の場合、スキャンしてテキスト化することもかつてはときどきしていたのだが、スキャナーの性能が低いせいなのか、テキスト化の際の文字化けが結構あり、それを訂正するのに時間がかかってしまうことが多々あったので、今ではこの手段はもう使わない。
 電子書籍の場合、キンドル版なら、確か著作権上の問題からか一冊ごとに上限はあったが、テキストをそのままコピーすることができる。仏語や英語のテキストはこれをフル活用している。ところが、海外のクレジットカードでは日本で発売されているキンドル版が購入できない(裏技があるらしいがどうすればよいのかわからないままである)。
 というわけで日本語書籍についてはHONTO書店を利用しているのだが、HONTOで購入可能な電子書籍版からは一度に百字程度しかコピーできず、しかもそれはウェッブ上で検索するためであり、テキストとして別の場所に直接貼り付けることができない。そこでスクリーンショットで頁を取り込み、それをPDF版に変換しテキスト化する。スキャンしたときよりは文字化けの頻度も格段に少なく、かなり快適に素早くテキストを利用できる。
 しかし、それでも誤変換がないわけではない。とくにフリガナや傍点があると改行が崩れる。それに、数字が文字に誤変換されることもあるし、その逆もある。
 そういう難点はあるが、電子書籍を活用するようになってから授業で引用する文章の数が飛躍的に増えたことは事実であり、その分授業の内容を豊かにはできていると思う。
 他方、さまざまな著作者の文章をこのようにしてかなり注意深く一文一文解剖するように読むと、意外にと言ってもいいほど、文章に厳密さが欠けていることに気づく。ほとんどの場合、立派な研究業績をおもちの方々の文章だから、内容的に辻褄が合っていないということはない。そもそもそのような箇所がたとえあっても引用しない。全体の論旨は十分に明快な文章しか引用しない。それでも、特に指示語と助詞には厳密に言えば適切とは言えない使い方がときに見られる。
 問題は、個々の著作者にあるというよりも、日本語そのものが許容する(してしまう)曖昧さにあるように思う。それでも誤解の余地なく読めるのならばいいではないかとも思う。著者が指示語によって指したいことが読者によって正確に把握されればよいわけで、それは文章全体の論旨から特定できることが多い。
 しかし、私個人としてはそのような曖昧さができるだけ少ない文章を書くように心掛けている。